『思想』No.2048(岩波書店、2011年8月)は、「戦後日本の歴史学の流れ―史学史の語り直しのために―」。
目次は以下の通り。
鹿野政直「思想の言葉」
成田龍一・小沢弘明・戸邉秀明「【座談会】戦後日本の歴史学の流れ」
安丸良夫/聞き手:成田龍一「〈インタビュー〉戦後日本の歴史学を振り返る―安丸良夫に聞く―」
成田龍一「違和感をかざす歴史学―史学史のなかの民衆思想史研究(前期および中期)―」
飯島渉「「中国史」が亡びるとき」
高澤紀恵「高橋・ルフェーブル・二宮―「社会史誕生」の歴史的位相―」
大串潤児「史学史としての教科書裁判」
いずれも興味深く読んだ。ただ、飯島論文は、やや毛色が違っていたような気がする。むしろ、文中でも言及しているように、「「戦後歴史学」の中国史版」・「学問史ないしは史学史にもとづく自己省察」をやってほしかったのだが。
成田論文では、色川大吉・安丸良夫・鹿野政直らによる「民衆思想史研究」の成立と転回について論じている。
高澤論文では、高橋幸八郎と二宮宏之のルフェーブルとの邂逅(二宮の場合は間接的に)・フランス留学経験の差異と「社会史」の誕生について論じている。
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