2011年9月25日日曜日

足利義満と禅宗

上田純一『足利義満と禅宗』(法蔵館、2011年9月)

シリーズ権力者と仏教の3。目次は次の通り。
第一章:日明国交回復への道
第二章:国交樹立
第三章:明朝の禅宗
第四章:日明両国を結ぶ禅僧たち
第五章:博多・兵庫における禅宗の展開
終章:国交断絶

足利義満の信仰の話かと思いきや、義満の対外政策(日明外交)に禅宗・禅僧が果たした役割に迫っている。先日ブログで紹介した『モノが語る日本対外交易史』や橋本雄『中華幻想―唐物と外交の室町時代史―』(勉誠出版、2011年3月)を読んでいたこともあって、興味深く読むことができた。
禅僧は外交事務能力や漢詩作成能力によって外交に関わったとする通説に対し、より積極的な意義があったのではないかとし、足利義満は明朝と太いパイプを持つ禅僧ネットワークの活用を企図したのではないかとする。明朝における禅宗の状況や日明間の禅僧の交流についても詳細に紹介している。

戦後日本の歴史学の流れ

『思想』No.2048(岩波書店、2011年8月)は、「戦後日本の歴史学の流れ―史学史の語り直しのために―」。

目次は以下の通り。
鹿野政直「思想の言葉」
成田龍一・小沢弘明・戸邉秀明「【座談会】戦後日本の歴史学の流れ」
安丸良夫/聞き手:成田龍一「〈インタビュー〉戦後日本の歴史学を振り返る―安丸良夫に聞く―」
成田龍一「違和感をかざす歴史学―史学史のなかの民衆思想史研究(前期および中期)―」
飯島渉「「中国史」が亡びるとき」
高澤紀恵「高橋・ルフェーブル・二宮―「社会史誕生」の歴史的位相―」
大串潤児「史学史としての教科書裁判」

いずれも興味深く読んだ。ただ、飯島論文は、やや毛色が違っていたような気がする。むしろ、文中でも言及しているように、「「戦後歴史学」の中国史版」・「学問史ないしは史学史にもとづく自己省察」をやってほしかったのだが。
成田論文では、色川大吉・安丸良夫・鹿野政直らによる「民衆思想史研究」の成立と転回について論じている。
高澤論文では、高橋幸八郎と二宮宏之のルフェーブルとの邂逅(二宮の場合は間接的に)・フランス留学経験の差異と「社会史」の誕生について論じている。