2010年2月21日日曜日

読書雑記

上原淳道『読書雑記』(上原勝子、2001年11月)


数ヶ月前、古本屋にて偶然購入。
『読書雑記』は、東大教授・関東学院大教授を歴任した
上原淳道(1921~1999)氏が、1963年から1999年まで
36年間発行し続けた個人誌。
本書は上原氏の没後、夫人がまとめて出版したもの。
とはいえ、主に関係者(『読書雑記』の読者?)に配布され、
殆ど流通しなかったらしい。
ちなみに、NACSISで調べたら、大学図書館では13か所しか所蔵していない。

『読書雑記』は個人誌といっても、出版物ではない。
『読書雑記』自体の説明は、著者自身の言葉を引用した方が、
わかりやすいと思うので、以下に『読書雑記』あとがきより抜粋します。

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「不定期刊」のつもりだが、最初の1年間は平均して月に3回、
最近はほぼ月に1回である。体裁は、わら半紙1枚、謄写版(ガリ版)ずり、
横書き。左半分に標題1行と本文20行、右半分に本文21行。
本文1行は30字だから、1号分の本文は1230字(400字づめ3枚強)となる。
毎号、数項目から成るが、どの項も原則としてピタリと行の終りで終るように
(つまり、30字の倍数になるように)字数を工夫している。

 発行部数は、誰にも言わない。個々の配布さきも、その人が死亡しな
いかぎり(つまり、生きている間は)、原則として明らかにしない。
配布の方法は原則として郵送。私が送ろうと思う人に一方的に送るだけである。
たまに「購読」を申し込む人があるが、売りものではないのだから、
購読はできない。

 原稿書き、原紙切りから、あて名書き、切手貼りまで、すべて独力で
やる個人通信を12年以上も続けているのは、大げさに言えば、私なりの
闘争であるが、闘争というよりは宗教的な「苦行」に似ている。
世の中にはいろいろな団体があり、出版物があるけれども、
どの団体もどの出版物も取上げようとしない問題で、
しかも私にとってはきわめて重要であるような問題も存在するのである。
私の『読書雑記』をミニコミと言う人もあるが、
私としては、ミニコミではなく、さりとてむろんマスコミではなく、
「ナグリコミ」と思っている。
(雑誌「文藝春秋」昭和51年7月号・巻頭随想「個人通信十四年」より抜粋)

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最終的に『読書雑記』は441号まで発行され、
上原氏の死去によって幕を閉じた。

はやすぎたブログといった感じだろうか。
でも、郵送先は上原氏自身が決めているし、
見たいといっても、送ってもらえるものでもないらしいから、
やっぱりブログとはかなり違う。


一気に読みたかったけど、あえて数か月かけて、
441号(882頁)をゆっくり読んできた。
内容は、読書の感想、時事問題への意見・感想・批判、
追悼文、思い出、『読書雑記』読者からの手紙の紹介などなど。
学生運動、公害問題、文革、天安門事件、ソ連崩壊……
1960年代から90年代の時代の雰囲気が垣間見える。

特に「東洋史」学界に対して厳しい姿勢を貫いていて、
東大・京大の「東洋史」主流派は、のきなみ批判されている。
しかも、その姿勢が36年間ぶれていない。
現代史の生の資料をのぞき見した面白さに近い感じ。
「面白い」とかいったら、当事者やその弟子筋に
叱られそうな気もするけど、事実だから仕方がない。
ただし、ぼかしてる部分や当事者以外わからないことも多い。
注釈書があればいいのになぁ。だれか作ってくれないだろうか。

東大出身にも関わらず、東大「東洋史」の体制に批判的だった上原氏が、
『読書雑記』を出したきっかけは、
1962年に発生した東洋文庫のアジア・フォード財団資金受け入れ問題らしい。
A・F財団の資金受け入れは、文化面での日米安保体制の強化政策であり、
反中国・反共政策に、東洋文庫ひいては日本の東洋史学が組み込まれる危険が
ある、と認識されて、当時かなり大きな反対運動がおこったようだ。
結局、上原氏は「学界主流」からはずれていき、
今ではあまり触れられることもなくなっている。


それにしても上原氏の文章は熱い。
研究・教育をしっかりこなしつつ、平和運動・労働運動・国際問題など、
1960年代から1990年代までの社会運動に、
これだけ関心を寄せ続けた中国史の研究者は、おそらくほかにいないだろう。
しかも、単なる活動家には堕してないし。
これだけの熱気を持った研究者は、
もはや存在しないし、今後生まれることもないと思う。
僕自身も、こういう研究者になりたいわけではない。

ま、上原氏の姿勢が「正しかった」のかどうかは、よくわかりませんが。
批判された東大・京大の主流派やその弟子筋から見れば、
迷惑なドン・キホーテという認識だろうし、
上原氏を応援していた人なら、称賛するだろうし。
こういう研究者がいた、ってことが重要なのだと思います。

ところで、当時、『読書雑記』や上原氏の熱心なファンだった人々は、
いま、一体、どうしているのだろうか。
ちょっと気になります。

歴史学者と国土意識

吉開将人「歴史学者と国土意識」(『シリーズ20世紀中国史2 近代性の構造』東京大学出版会、2009年8月)

ブックオフで偶然見かけて購入。
「中国の歴史学者たちがどのように歴史地図の編纂を志し,
いかなる国土意識を形作ったのかという点について」論じたもの。
1930年代の歴史地図編纂の試みから、
1982年に『中国歴史地図集』が完成するに至る過程を、
国内的要因(学術史的背景)と国際環境(日本の侵略)から分析。
「おわりに」では、現在の「高句麗史」帰属問題にも言及している。

普段何気なく使っている『中国歴史地図集』に
半世紀に及ぶ政治的背景が存在したとは。
歴史地図と政治が密接に関係していることを改めて実感しました。