2012年5月27日日曜日

魏志倭人伝の謎を解く

渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く―三国志から見る邪馬台国』(中公新書、2012年5月)

昨年、たてつづけに『三国志―演義から正史、そして史実へ』、『関羽―神になった「三国志」の英雄』、『曹操墓の真相』(監訳)を出した著者が、ついに邪馬台国にチャレンジ。

渡邉氏の「『三国志』東夷伝倭人の条に現れた世界観と国際関係」(『三国志研究』6、2011年)を下敷きに、『三国志』の世界観や編纂背景を踏まえて、倭人条に含まれた「理念」と「事実」をよりわけて、邪馬台国に迫ろうとしている。

最近、石野博信ら編『研究最前線邪馬台国―いま、何が、どこまで言えるのか』(朝日選書、2011年6月)、東潮『邪馬台国の考古学―魏志東夷伝が語る世界』(角川選書、2012年3月)、大塚初重『邪馬台国をとらえなおす』(講談社現代新書、2012年4月)などなど、やたら邪馬台国関連書が出版されている。纏向遺跡の発掘が影響しているのだろうなぁ。

「知」の欺瞞

アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン著、田崎春秋・大野克嗣・堀茂樹訳『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波現代文庫、2012年2月)

アメリカのカルチュラル・スタディーズ誌『ソーシャル・テクスト』にソーカルが投稿したパロディ論文「境界を侵犯すること―量子重力の変形解釈学に向けて」が掲載されてしまったことをきっかけに、いきすぎたポストモダン思想を批判する目的でフランスで出版された書籍。

ラカン、クリステヴァ、ボートリヤール、ドュルーズとガタリ、ヴィリリオなどの超著名な知識人の著述に見られる科学用語が、明白な濫用であることを指摘している。ここでいう濫用とは、①何の議論もなしに通常の文脈を完全に離れて使用すること、②論点と関係なく、めくらまし的に科学用語を並べたてること、である。「王様は裸だ!」と正面から述べた本という感じ。

増補 民族という虚構

小坂井敏晶『増補 民族という虚構』(ちくま学芸文庫、2011年5月)

先日紹介した『アジア遊学150 アジアの〈教養〉を考える』で
紹介されていたので購入。

〈民族〉の虚構性を改めて確認したのち、その虚構性を単純に否定するのではなく、社会がさまざまな虚構が存在することによって、はじめて機能することを指摘し、開かれた共同体概念をどのように構築すればいいかを考察している。

第三章虚構と現実に「虚構の成立と同時にその仕組みが隠蔽されることが、社会生活が機能するための不可欠な条件をなす。虚構であるにもかかわらず現実の力を発揮できると主張するのではない。虚構と現実との関係をこのように消極的に捉えるのではなく、反対に両者の間に根元的で分離不可能な関係をみなければならない」とあるが、いま考えている研究テーマと密接に関わってくる。

というか、なんでもっと早く読まなかったのだろうか。アンテナの感度が落ちているような気がして、ちょっとへこんでしまった。