2009年12月31日木曜日

振り返ると

振り返ると今年も色々ありました。
楽しいことも、嬉しいこともありましたが、
反省すべきことも多々ありました。

とりあえず、年が明けたら、前を向いて
振り返らないようにしたいと思います。
ま、時には振り返ってしまうでしょうけど。

2009年12月30日水曜日

曹操墓発見か

年末になって曹操墓(魏武王高陵)発見というニュースが飛び込んできましたね。
毎日新聞では小さいながらも一面にあげていました。
河南省文物局のホームページで詳細が紹介されています。
http://www.haww.gov.cn/html/20091227/153670.html

第一報を聞いて「本当かな?」と思った人は多いはずです。
かくいう私もそう思いました。
ただ、河南省文物局の情報によると、墓道と前室・後室と四つの側室があり、
墓道と墓室の合計の長さが60m近くもある相当大型の墓だそうです。
石牌には一抹の不安を感じますが、これだけの規模の墓となれば、
まぁ、間違いないような気がします。
ま、正式な報告書が出るまで、確実なことは言えませんが。

台湾の趙立新氏のブログ「 南國島夷:古代東亞與中國中古研究」では、
各種報道機関(中国・香港・日本・韓国・欧米)の記事とリンクしています。
さらに「高陵剖視圖」も掲載されています。

多分、万一、石牌が出なかったとしても、河南省文物局は、
曹操墓の可能性が高いとしたんじゃないですかね。
河北省磁県湾北朝墓が、文字資料がないにも関わらず、
規模や副葬品・文献の記載から北斉の文宣帝墓と
推定されている前例もありますし。
どっちに転ぶにせよ、報告書が楽しみです。

大阪大学歴史教育研究会39回例会

大阪大学歴史教育研究会・第39回例会
日時:2010年1月16日(土) 午後1時30分~5時30分
会場:大阪大学豊中キャンパス文法経本館2階大会議室

大阪大学歴史教育研究会・中央ユーラシア史部会報告
「中央ユーラシア史上の分水嶺―世界史教材のための時代区分と類型化の試み」

第1部 中央ユーラシア史の経糸と緯糸
向正樹「中央ユーラシアという世界―空間的考察・用語―」
伊藤一馬「中央ユーラシアにおける国家の形成と展開」

第2部 中央ユーラシアにおける国家の諸相
入野恵理子「4~6世紀 北魏」
旗手瞳「7~9世紀 吐蕃」
赤木崇敏「9~10世紀 敦煌王国」

『日本歴史』740号

『日本歴史』第740号(吉川弘文館、2010年1月)は、
「日本史研究とデータベース」という新年特集号。

分野別現況には、
小口雅史「日本古代史研究のためのオンラインデータベース」
田良島哲「中世研究資源としてのウェブデータベース」
江川式部「中国・台湾史に関するデータベース」
長森美信「朝鮮前近代史に関するデータベース」
荒木浩「ぞんざいな検索、丁寧な検索」
岡本真「日本史研究におけるインターネットの学術利用」などがある。
そのほかに「提供者の立場から」、「利用者の立場から」の項目もあり、
全体合計で、47人が各種データベースを紹介している。

工具書としてとても便利。
いつもならそんなにすぐには売れないはずなのに、
今回はあっという間に店頭からなくなってしまっていた。

2009年12月28日月曜日

中世の書物と学問

小川剛生『中世の書物と学問』(山川出版社、2009年12月)

山川出版社の日本史リブレット78。
書写・校勘、読書、蒐書、引用・利用、註釈書などのテーマから、
中世の日本の人々が、どのように書物を利用していたか、
当時の学問とはどのようなものかを平易にまとめている。

日本中世における中国の書物・学問の受容については、
「「東アジア世界」という見取り図を持ち出して」終わりとするのではなく、
「受容した側が何をどのように消化した結果、
いかなる果実が稔ったかを具体的に追跡するべきである」と述べている。
以前読んだ水口幹記『日本古代漢籍受容の史的研究』(2005年9月)の序章と
ある意味共通の問題意識を感じた。

2009年12月27日日曜日

寧波プロジェクト科挙班研究総括集会

研究総括集会「寧波士人社会の形成と展開―宋元明の通時的考察」
主催:科挙班
日時:2010年1月24日(火)午後1時~午後5時
会場:明治大学駿河台校舎研究棟4F第6会議室
報告者:科挙班構成員(近藤一成、森田憲司、櫻井智美、鶴成久章、飯山知保)
各分担者が現段階での結論を20分間程度報告。
課題と今後の展望について、討論を行う予定。 

冬の夜道


冬の夜道にて。
中途半端にあがった足は愛嬌あるけど、
ビームが出そうな左目がちょっと怖い。

2009年12月26日土曜日

陳元靚の『博聞録』について

宮紀子「陳元靚の『博聞録』について 」(『汲古』56、2009年12月)

これまでの宮氏の陳元靚撰『博聞録』(『事林広記』のもとになった類書)に
関する研究によると、 現在、『博聞録』自体の伝来は知られていないが、
佚文や版式から、『事林広記』のどの部分が『博聞録』であるか判明しつつある。
今回の論文では、日本で作られた仏典の注釈や『三体詩』の抄物などを中心に
その後発見した『博聞録』関係資料や佚文を紹介。
『博聞録』自体の研究もさることながら、
13~15世紀の日本における漢籍受容の様子も窺えて、とても面白かった。

また、本題とはずれるが、南北朝~室町時代の「管領」・「都元帥」・「総管府」等の
肩書きが、 モンゴル時代の制度を踏まえているという注12の指摘も興味深かった。

新発見隋代陰寿の墓誌

韓昇「新発見隋代陰寿の墓誌」(『汲古』56、2009年12月)

近年発見された北周・隋初に活躍した陰寿(墓誌中では陰雲)の墓誌を紹介。
冒頭の墓誌概述で、「未公開の墓誌」と述べているが、
すでに王其褘・周暁薇主編『隋代墓誌銘彙考』第一冊(線装書局、2007年)と、
楊宏毅「隋《陰雲墓誌》考」(『碑林集刊』13、2008年)に、
拓本・録文・解説が掲載されている。
陰雲(陰寿)の事績についても、楊宏毅氏の論文の方が正確。

国文学研究資料館 公開講演会

国文学研究資料館 公開講演会
日時:2010年1月14日(木)13時00分
場所:国文学研究資料館第1会議室
講師:陳先行
題目:上海図書館の古典籍の収蔵について

2009年12月23日水曜日

感染症の中国史

飯島渉『感染症の中国史―公衆衛生と東アジア―』(中公新書、2009年12月)

『ペストと近代中国』や『マラリアの帝国』の著者のはじめての新書。
新書とか出ないかなぁ、と思っていた研究者の一人。
専門書のエッセンスが凝縮されている感じ。

19世紀末、ペスト・コレラなどの感染症の流行を契機に、
公衆衛生の確立を迫られた中国の苦闘を描く。
中国と帝国日本(植民地)の公衆衛生の関係も指摘。
列強諸国・帝国日本が植民地に行った公衆衛生事業について、
単なる「善政」ととらえるのではなく、植民地化の過程としてとらえる必要性を述べる。

2009年12月20日日曜日

手も足も

最近の寒さに手も足も出ません……。

なお、写真は秋に撮影したもの。猫はぬくぬくしてるはずです。
野良なのにこのフォルム。猫というより芋虫に近い気が……。

EurAsia3000年

もう、かなり今さらですが、まだ間に合うはず、
ということで紹介します。

「EurAsia3000年 海と陸のシルクロード」
会場:横浜ユーラシア文化館
会期:2009年9月19日~2010年1月11日
休館日:月曜日・年末年始(12月28日~1月4日)
開館時間:9時30分~17時
入館料:一般500円 小中学生250円

展示構成:Ⅵ部構成で、陶磁器・青銅器・ガラス碗・地図などを展示。
Ⅰプロローグ(6世紀以前のシルクロード)、Ⅱ唐とイスラーム世界、
Ⅲモンゴル帝国の出現、Ⅳ大航海時代前夜 
Ⅴ大航海時代、Ⅵエピローグ(横浜を通過したシルクロード研究者)

2009年12月18日金曜日

オブジェの方へ―変貌する「本」の世界


先日、うらわ美術館で開催中の「オブジェの方へ―変貌する「本」の世界」展に行ってきました。
うらわ美術館は、「本」のアートをコレクションの柱にしている美術館で、
現在、1180点収蔵しているそうです。
今回は開館10周年記念ということで、コレクションの一部(67点)を展示中。

うらわ美術館は、シンプルでこじんまりとしていて、
客もあまり多くない感じ。今回の展覧会もちょっと地味目。
でも、国外・国内の様々な「本」に関する現代アートが並べてあって、
とても面白かった。


針で聖書を丹念にほぐした
イー・ジヒョン「007SE0711(聖書)」。

福田尚代の「佇む人たち」は、
小口を削った文庫本をずらりと並べて羅漢に見立てた作品。
まるで木製の彫刻みたい。

中村宏「機甲本 Ιχαρος(イカルス)」は、
稲垣足穂の短編小説を銅版にしたもの。総重量23kg。
外観と小説の内容が密接にリンクしている。
というか、単純にかっこいい。

西村陽平と遠藤利克は、焼いた本を展示。
西村作品は、鮮やかな白が奇妙に美しく、
遠藤作品は、2000冊の黒ずんだ本が重厚で圧巻。

柄澤齊の「書物標本Susanna」は、
まるで化石を見ているよう。


今回の展示で、ほぼ共通していることは、
本なのに、「読めない」(または極めて読みにくい)ということ。
焼いたり、塗りつぶしたり、重かったり、解体したり。
大体、物理的に読めないようになっている。
「本」とは何か、「読書」とは何かを考えさせられる。

でも、「本」があると、読みたくなるのが人情というもの。
ぜひ、「読む」という行為を含んだアートも展示してほしい。

「読めない」で思い出したけど、 うらわ美術館は
徐冰の作品を持っているのだろうか。
もし持ってたら、ぜひ展示してほしいなぁ。

徐冰「天書」(1987~1991年作成)











「オブジェの方へ―変貌する「本」の世界」
会場:うらわ美術館
会期:2009年11月14日~2010年1月24日
開館時間:10時~17時(土日のみ20時まで)
休館日:月曜日・年末年始(12月27日~1月4日)・1月12日
観覧料:一般500円、大高生300円

大阪市立東洋陶磁美術館

国際交流特別展「北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展」
会期:2009年12月5日(土)~2010年3月28日(日)
会場:大阪市立東洋陶磁美術館
休館日:月曜日(12月14日、21日、1月11日、3月22日は開館)、
 年末年始〈12月28日(月)~1月4日(月)〉、1月12日(火)、2月12日(金)、3月23日(火)
開館時間:午前9時30分~午後5時
 *12月12 日(土)~25日(金)は午後9時まで
主催:大阪市立東洋陶磁美術館、河南省文物管理局、読売新聞大阪本社
特別協力:河南省文物考古研究所
料金:一般900円(750円)、高大生600円(450円)
展示内容:近年、河南省文物考古研究所が進めてきた
 河南省宝豊県清凉寺の北宋汝窯青磁窯址の出土資料約80点を展示


講演会・シンポジウム
国際シンポジウム「北宋汝窯青磁の謎にせまる(仮題)」
日時:2010年3月13日(土)、14日(日)
場所:大阪歴史博物館・講堂
定員:250名(参加費無料・先着順)
内容:中国、台湾、韓国、日本の研究者が汝窯に関する最新の研究成果を発表
詳細については後日別途広報。大阪市立東洋陶磁美術館ホームページ参照。

2009年12月16日水曜日

講演会

研究会「中央アジア・ソグディアナにおける仏教遺跡と美術」
日時:2009年12月21日(月) 午後3:30〜5:00
場所:京都・国際日本文化研究センター第5共同研究室
http://www.nichibun.ac.jp/info/access.html
発表者:Abdullaev Kazim(ウズベキスタン考古研究所研究指導員)
参加費:無料

2009年12月13日日曜日

医学と芸術

現在、森美術館で開催中の「医学と芸術:生命と愛の未来を探る~ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト」に行ってきました。

今回の展覧会は、「医学と芸術」をテーマに、
イギリス最大の医療助成団体のウェルカム財団所蔵品を中心に、
第1部:身体の発見、第2部:病と死との戦い、第3部:永遠の生と愛に向かって
という三部構成で、医療用品・解剖図・日本画・現代アートなどなど、
約180点を展示している。

多分、目玉はダ・ヴィンチの解剖図なのですが、
そこにはあまり興味が湧きませんでした。
むしろ、実用的に作られた医療用品なのに
アートに見えてしまう展示品の数々に感動。
ポール・オムニスコープ社製レントゲン機や、特注の「鉄の肺」、
様々な義手・義足・義眼、鉄製関節模型などなど。

また、一つの展示品から、連想がひろがる面白さも味わいました。
たとえば、円山応挙の「波上白骨座禅図」(1780完成)を見た時には、
南宋・李嵩の「■[骨+古]髏幻戯図」を連想。 この絵は、傀儡の骸骨をあやつる芸人(これまた骸骨)とその妻と乳飲み子、
さらに芸人に近づく幼児と、それを止めようとする母親を描いている。
正直、李嵩のほうが、円山応挙よりも、ずっとずっと怖い。

現代アートでは、
死を目前にした人とその死亡直後の顔写真を並べた
ヴァルター・シェルス「ライフ・ビフォア・デス」や、
人の頭蓋骨を紙やすりで2週間削って作った
アルヴィン・ザフラ「どこからでもない議論」、
エドワルド・カッツが遺伝子工学によって生み出した光るウサギ「GFPバニー」に、
深く考えさせられました。
年老いたアメコミヒーローを並べたジル・バルビエの「老人ホーム」は、
単純に見ているだけでも面白かった。
解説は老人医学の面にしか触れてないけど、
“正義”のアメリカ自体を皮肉っているようにも見える。


と、ここまでものすごく満足したように書いてきましたが、
実のところ、面白かったけど物足りない、というのが正直な感想。
意外な組み合わせというのが少ない上に、西洋偏重なのも気にかかる。
申し訳程度にチベット・ペルシャ・インド・中国の展示品もあったけど、
物足りなすぎる。
鍼灸や本草学、江戸時代の医学用品ですら展示されていないし。
東洋医学の世界は、もっともっと奥深く、面白いものがたくさんあるのだけどなぁ。
それに呪詛とか祈祷といったものも広義の精神医学として、
取り上げる価値はあったのではなかろうか。例えばコレラ除けのお札とか。

どうも、グロテスクでインパクトのある解剖図や肉体図に
重点を置きすぎているように感じてしまった。
ま、アートっぽいものっていうと、どうしても西洋偏重になるのは仕方ないのだけど。
でも、そこをもう一歩踏み出してほしかったなぁ。

個人的には5月29日から8月30日まで
21_21DESIGN SIGHTで開催されていた「骨」展の方が
意外な組み合わせがあって面白かった。

なお、「医学と芸術展」は、2010年2月28日(日)まで開催中です。

2009年12月10日木曜日

東アジアの仏教儀礼と表象文化

国立歴史民俗博物館共同研究2008〜2010「中世における儀礼テクストの綜合的研究」による国際研究集会「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
日時:12月23日(水・祝日)
会場:名古屋大学文系総合館 7F カンファレンス・ホール

午前の部:影像上映(10:00〜12:00)
民俗映像「薬師寺花会式―行法を支える人々」 解説 松尾恒一

午後の部
基調講演(13:00〜14:00):洪潤植「韓国の仏教儀礼と芸能」
シンポジウム(14:15〜18:00)「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
金慶起「韓国霊山齋の儀礼 芸能の特質とその歴史」
小島裕子「舎利会における舎利の奉迎について」
荒見泰史「敦煌文献に見られる唱導資料」
コメンテーター:松尾恒一・殷勤
司会・総括:阿部泰郎

2009年12月8日火曜日

夜道にて


エサを探しているのだろうか。
そこには落ち葉しかないよ。

王朝滅亡の予言歌

串田久治『王朝滅亡の予言歌―古代中国の童謡』(大修館書店、2009年12月)

前漢・後漢代の童謡・予言歌の内容を解説。
政治と密接な関係にあったことを紹介している。
若干、気になったのは、正史に記された予言歌の流行時期を
そのまま採用しているように見えた点。
たとえば、桓帝の最期と次の霊帝の登場を予言した歌が、
桓帝即位当初に流行したという『続漢書』の記事をそのまま引用している。
予言はたいていの場合、後付けで作られるような気がするのだけど……。

中国では王朝交代や政治が乱れた際には、
必ずと言っていいほど、童謡が流行するので、
史料にもちょくちょく登場する。
清の杜文瀾撰『古謡諺』は、明代までの童謡を列挙していて、
参照するのに便利。

2009年12月6日日曜日

『老子』―〈道〉への回帰

神塚淑子『『老子』―〈道〉への回帰』(岩波書店、2009年11月)

岩波書店の書物誕生あたらしい古典入門シリーズの一冊。
第Ⅰ部では、『老子』の成立過程(馬王堆帛書・楚簡との比較)や、
各時代の注釈書、仏教や道教との関係をまとめている。
第Ⅱ部では『老子』の思想を以下の五つのテーマに分けて読み解いている。
「道」について、「道」への復帰、文明への警告、「聖人」の治、処世訓。
『老子』の概説書として、とてもわかりやすかった。
ただ、書物誕生シリーズの『孫子』・『論語』・『『史記』と『漢書』』を読んだときほどは、目から鱗が落ちなかった。

中国儒教社会に挑んだ女性たち

李貞徳著、大原良通訳『中国儒教社会に挑んだ女性たち』(大修館書店、2009年12月)

北魏の蘭陵長公主の流産と死を起点に、
南北朝隋唐期の女性と法の関係に迫る。
政治史の側面は希薄だけど、霊太后に注目していて、
なかなか面白い。
原題翻訳は「公主の死―あなたの知らない中国法律史」。
個人的には原題のほうがいいような気がするのだけど。

2009年12月3日木曜日

『宋代中国』の相対化

やっと宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』(汲古書院、2009年7月)を読了した。
収録論文は12本。どれも面白く、刺激的だった。
著者は全員30~40代。山根直生氏による編集後記の中に、
「前編集委員から託された方針はただ一点、執筆陣・編集委員の双方に
……従来よりも若い世代をあてること、のみであった」とある。
そういえば、遼金西夏史研究会も若手中心の研究会だ。
内実はよくわからないけれど、この論文集を読む限り、
宋代史研究会では、若手の勢いが盛んで、
世代交代がスムーズに行われるように思えてくる。
編集後記の付記にある故津田芳郎先生の若手へのエールがまたいい。

十一世紀後半における北宋の国際的地位について

毛利英介「十一世紀後半における北宋の国際的地位について―宋麗通交再開と契丹の存在を手がかりに―」(宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』汲古書院、2009年7月)

北宋神宗期の宋と高麗の通交再開について再検討し、
主要因は経済面ではなく、政治面にあったとする。
すなわち、宋朝には高麗との関係を一定程度回復することで、
「中国」としての装いを整えようとしたとする。
また、遼は高麗経由で宋の文物・情報が流入することを
期待して宋と高麗の通交を黙認したのではないかとする。

個人的には、上記に続く第二章第二節の方向表現からみる国際関係が
最も興味深く、とても面白かった。
遼と北宋が相互に「北朝」・「南朝」と称呼したのみならず、
高麗や西夏にも同様の認識が存在したことを指摘。
さらに遼において、東韓(高麗)・西夏・南朝(宋)・北朝(遼)という
方向表現があったことを示す。
もちろん、北宋・遼ともに自国を「中華」とする認識が存在したことは間違いないが、
一方で北宋・遼ともに「南朝」・「北朝」という意識も持っていたことがとても面白い。
南北朝時代には、あまりそうした認識はうかがえないのではないだろうか。