2011年9月21日水曜日

中国と日本の現代アートを比較する

牧陽一「中国と日本の現代アートを比較する」(『埼玉大学紀要 教養学部』46-1、2010年9月)

中国現代アート(主にパフォーマンス)と日本の前衛芸術(主に1960年代)との類似と相違を論じている。北京東村の「無名の山のために1メートル高くする」とゼロ次元のパフォーマンス、新歴史グループ「太陽100」とハイレッドセンター(赤瀬川源平など)の「首都圏清掃整理促進運動」、趙半狄とダダカン・秋山祐徳太子などなど。

情報が伝わったとは考えにくく、収斂進化のように類似のパフォーマンスが生み出されたようだ。しかし、外形は類似しているものの、状況・環境に応じて、意味合いは異なっている。

大変、興味深かった。日本の現代アート評論には、こうした視線が抜け落ちているように思える。牧陽一氏は、「商品化」した作品や、問題意識の希薄な作品にやや辛めなので、日本の現代アートにも物足りなさを感じているかもしれないけれど、ぜひとも今後、現在の日本現代アートとの比較をやってほしいと思った。

と思って、牧氏のブログを拝見してみたら、2011年8月8日の日記Chim↑Pomに言及していた。Chim↑Pomは毀誉褒貶ある作家だけど、是非、中国現代アートとの比較の文脈から論じてほしいなぁ。

なお、この論文は、埼玉県内の大学の機関リポジトリであるSUCRAでダウンロードできます。