2010年1月28日木曜日

日常/場違い



これまた、ちょっと前のことになりますが、
横浜の神奈川県民ホールギャラリーで開催されていた
「日常/場違い」展に行ってきました。
「日常」をモチーフ・テーマに、違和感・異空間などを感じさせる、
雨宮庸介・泉太郎・久保田弘成・木村太陽・佐藤恵子・藤堂良門の新作を展示。

とはいえ、難しく考えなくても、単純に眺めるだけで、
笑い出しちゃう作品が多くて、とても面白かったです。
特にバカバカしくてよかったのが、木村太陽と泉太郎の作品。
木村太陽の「巣穴/Der Bau」は、靴を脱いで四つん這いになって、
段ボール製の通路に入り、いくつかの映像を見るというもの。
なかで流れてる映像がまたくだらない。
鶏肉がDJ的なことしたり、レコードの上で顔につけたナイフでリンゴ切ったり。
最初、「巣穴」というタイトルを見たときに、
カフカの「巣穴」を連想したけど、どうもあまり関係ないみたいです。


泉太郎は、映像作品が10点くらいあったけど、
これまた、どれもこれもバカバカしい。
「デッドオアアライブオアウィンク」は、コインの表(天使)が出たら、
鳩に餌をあげたり、公園の植木に水をあげたり、といったささいな善行をするけど、
裏(悪魔)が出たら、鳩を追っかけまわしたり、芝生をふみつけたり、
といったしょーもないことをする映像作品。結局、「ウィンク」してないし。

泣きながら泣き顔を、笑いながら笑顔を、怒りながら怒り顔を描く「蚊」とか、
階段に、階段を転げ落ちる映像を映し出す「ほうとう」などなど、
単純だけど、ついつい笑ってしまう作品ばかり。
にしても、タイトルと中身の関連性がよくわからない。
これも「日常/場違い」の手法なんだろうなぁ。














久保田弘成の電信柱を洗車機で洗う「性神式」もインパクトあった。

屋外で見た東ドイツ製のトラバントを回転させる「Berlin Hitoritabi」も
回転速度がすごくて迫力あったなぁ。



日常的なものや考え方をちょっとずらして見せる。
思いつきそうで思いつかないバカバカしさがなんとも心地よかったです。

2010年1月27日水曜日

近代史学史再考

『歴史学研究』863号(2010年2月号)の小特集は、
「近代史学史再考―アジアの事例から―」。
中国・イラン・タイ・マレーの事例を取り上げている。

吉澤誠一郎「中国における近代史学の形成―梁啓超「新史学」再読―」
守川知子「「イラン史」の誕生」
小泉順子「『ラタナコーシン王朝年代記』の改訂と史料編纂」
左右田直規「植民地教育と近代歴史学―英領マラヤのマレー語歴史教科書に関する一考察―」
コメント:宮地正人

どれも面白かったのですが、個人的には守川論文と小泉論文が印象的でした。
守川論文は、「イラン」地域において、「イラン史」という枠組み自体が、
19世紀後半にヨーロッパから受け入れたことを指摘。
英国のマルコム著『ペルシアの歴史』が、1870年~72年にペルシア語訳されたが、その際、使用された書名が「イランの歴史」であり、
この本がペルシア語で発表された最初の「イラン史」であるとする。
『ペルシアの歴史』の翻訳者(ヘイラト)については、特に言及されていませんでしたが、どんな人なのかちょっと気になります。

小泉論文は、19世紀半ば頃に作られた年代記と20世紀に作られた改訂版年代記で、タイと清朝の関係についての記述が大幅に変更されており、 朝貢関係の記事が、加筆・修正・削除されていることを指摘。 年代記の改訂に、20世紀初頭のタイ内外の政治状況が反映されているとする。
ずいぶん前に、20世紀のタイでどのように「歴史」・「伝統」が創出されたかを論じた小泉順子『歴史叙述とナショナリズム―タイ近代史批判序説―』(東京大学出版会、2006年)を読んで、史学史の重要性を感じたことを思い出しました。

東アジア海文明の歴史と環境

国際シンポジウム「東アジア海文明の歴史と環境―中韓日研究者の語る東アジア海文明の未来像―」
日時:2010年2月27日(土)・28日(日)
会場:学習院大学西2号館

2月27日(土) 学習院大学西2号館201教室
13:00~13:10 趣旨説明
13:10~14:20 張東翼「高麗時代対外関係の諸相」
14:30~15:40 安介生「中国魏晋南北朝時期の海洋認識について」
16:00~17:10 佐藤洋一郎「稲作からみた東アジア海文明の環境史」

2月28日(日) 9:20~12:30部会報告
第Ⅰ部会 東アジア海文明における交流―列島・半島・大陸― 西2号館306教室
 鐘江宏之「藤原京造営期の日本における外来知識の摂取と内政方針」
 李文基「墓誌から見た在唐高句麗遺民の先祖意識」
 森部豊「7~8世紀の北アジア世界と安史の乱」
 呉吉煥「百済初期王系の成立について」
 畑中彩子「長登銅山にみる日本古代の銅山経営と流通」

第Ⅱ部会 越境するモノ・情報・認識 西2号館305教室
 禹仁秀「明清交替期の台湾鄭氏海上勢力に対する朝鮮の情報蒐集と対応」
 洪性鳩「韓国と満洲―満洲理解の歴史―」
 金知恩「朝鮮後期の星湖李瀷の東アジア観」
 荒川正明「福建と日本の陶磁」
 家永遵嗣「15世紀室町幕府の「辺境」認識の成立条件―将軍近臣と北辺・西辺の在地勢力―」

第Ⅲ部会 中国古代の地域と古環境の復元 西2号館304教室
 濱川栄「漢代徙民考」
 中村威也「里耶秦簡から見た民族と支配」
 長谷川順二「前漢期黄河故河道の復元―山東省聊城市~平原県~徳州市―」
 惠多谷雅弘「衛星リモートセンシングデータの古環境・遺跡調査への応用とその有効性について」
 黄暁芬「秦直道の調査と認識」

第Ⅳ部会 東方大平原における水運と流通 西2号館204教室
 樊如森「民国時期の黄河水運」
 市来弘志「五胡十六国北朝期の黄河下流における牧畜民の活動」
 水野卓「春秋邗溝考」
 青木俊介「邗溝と漢代東方水上交通」
 菅野恵美「山東地域における交通と図像の流通について」

第Ⅴ部会 東アジアの環境史―水利・技術・災害― 西2号館205教室
 村松弘一「東アジア史における陂と塢」
 小山田宏一「東アジア海沿岸低地の開発類型―鑑湖・碧骨堤・東大寺領名荘」
 大川裕子「銭塘江逆流と鑑湖―古代江南開発の再検討―」
 段偉「水利と災害からみた東アジア史―自然災害と中国古代の行政区の変遷」
 鄒怡「1391~2006年の龍感湖―太白湖流域の人口推移と湖の堆積物との呼応性―」

13:30~15:30 総括・討論
15:45~16:45 
 鶴間和幸「東アジア海文明の歴史と環境―5年間を振り返って―」


学習院大学主催の大型国際シンポジウム。
「東アジア海文明」は、まだいまいちピンとこないけど、
これだけのメンバーを集めたのは本当にすごい。

2010年1月26日火曜日

中国のイスラーム思想と文化

『アジア遊学129 中国のイスラーム思想と文化』(勉誠出版、2009年12月)

近年、研究が急速に進められている「中国イスラーム哲学」を中心に、
中国におけるイスラーム思想と文化に関する論稿を掲載。

明清代に登場した中国イスラーム哲学は、
朱子学の用語を使いつつ、独自の思想を打ち立てた。
面白そうだなぁと思いつつ、朱子学・イスラームに関する知識が乏しいため、
「中国イスラーム哲学」そのものを扱った論稿は、ちょっと難しく感じてしまった。

個人的に面白かったのは、以下の三篇。
矢島洋一「元朝期東アジアのスーフィズム」
中西竜也「アラビア語と漢語を結ぶ中国ムスリム像」
木村自「虐殺を逃れ、ミャンマーに生きる雲南ムスリムたち―「班弄人」の歴史と経験」

矢島論文は、カラコルムのペルシャ語碑文とハラホト出土のペルシャ語文書から、
元朝期のスーフィズムについて紹介。
中西論文は、清末民国期のムスリム学者(馬徳新・馬良駿)における漢語著述とアラビア語著述の視差を指摘し、両方の眼で見ることの必要性を説く。
木村論文は、清末の雲南におけるムスリム弾圧から、ミャンマーに逃れた人々を中心に形成された「班弄人」のアイデンティティ問題について論じている。

2010年1月24日日曜日

睡蓮池のほとりにて


ちょっと前になりますが、
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の
「睡蓮池のほとりにて―モネと須田悦弘、伊藤存」に
行ってきました。

睡蓮の絵で有名なモネと、
大山崎山荘美術館にある睡蓮の池をモチーフにした、
須田悦弘と伊藤存の作品を展示している。
モネはいわずとしれた印象派の巨匠。
伊藤存は動植物や人などをモチーフにした刺繍作品を作る作家。
でも、お目当てはこの二人ではなく、須田悦弘。


須田悦弘は、木彫りのリアルな実物大の草花を、
様々な空間にそっと配置する作品を作り続けている。

はじめて須田の作品を見たのは、
2005年の「秘すれば花:東アジアの現代美術」(森美術館)。
植物が壁からそっと出ていたのだけど、あまりにも何気なく存在していたため、
気付かず通り過ぎる人もけっこういた。

その後、しばらく現代アートとは遠ざかっていたのだけど、
一昨年くらいから、また見に行くようになり、次に出会ったのは昨年。
「ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション」(上野の森美術館)では、
他の作品(小澤剛の醤油画屏風)の陰に、
ひっそりと指先ほどの「雑草」が置いてあった。
原美術館の常設展示「此レハ飲水二非ズ」では、
汚い小部屋のむき出しになった排水管の先に椿が咲いていた。

リアルな木彫りの植物を見過ごしそうなほどさりげなく配置したり、
意外な場所と組み合わせたり。
それがなんとも言えず、かっこよく感じてしまうわけです。

で、今回の「睡蓮池のほとりにて」では、
白い壁・カーペットで仕切られた小部屋の中央に敷かれた
黒い円形のボード上に、 木彫りの睡蓮がそっと置いてありました。
睡蓮の葉には虫食いのあともあります。
天井には円形ボードと同じ大きさの天窓があり、
睡蓮の上に淡い光が差し込んでいます。
小部屋を出ると、周囲の壁にはモネの睡蓮がたくさん掛けられています。

やっぱり、かっこいい。

新館の廊下にも、虫食いの「葉」が展示してありました。
今回は意外な組み合わせや、さりげなさはなかったものの、
モネの睡蓮と呼応するかのような配置がよかったです。
また、どこかで須田の作品を見てみたいです。

ちなみにこの「睡蓮池のほとりにて」は、
本来1月31日までの予定だったのですが、
好評につき、2月28日まで延期されたそうです。

2010年1月23日土曜日

三教不齊論

各種新聞で報道されていますが、
空海が唐から持参した文献で、その後亡佚したと思われていた
「三教不齊論」の江戸時代末期の写本が、
東京都立図書館所蔵諸橋轍次文庫で確認されたそうです。
「三教不齊論」は、儒・仏・道のうち、仏教が最も優れていると説いており、
渡唐前に空海が撰した『三教指帰』の裏付けとして持ち帰った可能性が
あるそうです。
発見者は藤井淳氏(高野山大学密教文化研究所委託研究員)。

毎日新聞の記事には、25日に高野山大学で開かれる研究会で発表する、
とあるのみで、具体的な研究会名は書かれていませんでした。
多分、この研究会ではないかと思います。

密教文化研究所第6回研究会
日時:2010年1月25日(月)15:00~17:00
場所:高野山大学本館2階第3会議室
藤井淳「『空海の思想的展開の研究』拾遺」


また、毎日新聞の記事には「当時の唐の官僚が書いた比較思想論」と
あるのみで、撰者の名前をあげていませんが、どうやら劉晏のようです。
どんなことが書いてあるのか、ちょっと気になります。
なにか佚書を引いていたら面白いのですが。


―――――――――――――――――――――――――――――――――
2月11日2時50分追加
枕流亭ブログに、『三教不齊論』の著者に関する記事が掲載されていました。
撰者が気になったので、高野山大学密教文化研究所に問い合わせたら、
「前盧州参軍姚辨撰」と記されていた、という回答を得たそうです。
敦煌文書に劉晏述『三教不齊論』とあったので、
「劉晏のようです」と書いてしまいました。お恥ずかしい限りです。

2010年1月21日木曜日

北朝・隋唐史料に見えるソグド姓の成立について

斉藤達也「北朝・隋唐史料に見えるソグド姓の成立について」(『史学雑誌』118-12、2009年12月)

ソグド姓とその対応国名の関係について考察。
国名(例:康国・安国など)からソグド姓(例:康・安など)が
派生したとする従来説に検討を加え、
むしろ、ソグド姓から対応国名が派生したとする。
また、当初、ソグド人には康姓しか存在しなかったが、
南北朝期における同姓不婚の厳格化にともない、
ソグド姓が多様化したとする。
斉藤達也「安息国・安国とソグド人」(『国際仏教学大学院大学研究紀要』11、2007年3月)の拡大発展版。

シンポジウム「近代学問の起源と編成」

シンポジウム「近代学問の起源と編成」
日時:2010年3月13日(土)・14日(日)
会場:早稲田大学早稲田キャンパス14号館1階 102教室
主催:早稲田大学高等研究所

[プログラム]
3/13(土)文学研究の近代―学問としての成立と展開― 13:00~
藤巻和宏「文学研究の範囲と対象―寺院資料から近代学問を捉え返す―」
田中貴子「〈中世〉の発見―近代知識人を中心に―」
笹沼俊暁「外地の国文学と「風土」―犬養孝の万葉風土論と台湾―」
平藤喜久子「神話学の「発生」をめぐって」
倉方健作「フランス近代詩と学問―「ボードレール研究」の確立を例に―」
討議

3/14(日)近代諸学の成立と編成―前近代の継承と断絶―
10:00~
北條勝貴「歴史と歴史学の存在意義―グラウンド・ゼロから考える―」
井田太郎「実証という方法―近世文学研究は江戸時代になにを夢見たか―」
玉蟲敏子「江戸後期の古画趣味と日本の美術史学」
藤田大誠「近代国学と人文諸学の形成」
13:30~
飯田健「国家からの視点、市民からの視点―近代日本に輸入された政治学の二つの系統―」
齋藤隆志「近代経済学とマルクス経済学―その受容と対立の歴史―」
森田邦久「西洋哲学と近代科学の成立」
青谷秀紀「H・ピレンヌと近代ベルギー史学の形成」
討議

学習院大学コレクションの世界

学習院大学開学六十周年記念特別展覧会
「知識は東アジアの海を渡った―学習院大学コレクションの世界」

日時:2010年1月26日~2月1日
会場①丸善・丸の内本店4階ギャラリー 9:00~21:00
  ②学習院大学史料館展示室 10:00~17:00
入場無料

[主な展示品]
会場①『大唐六典』(近衛家寄贈)・『史記』(明治天皇旧蔵)・『水経注』(高松藩旧蔵)・『白氏文集』(渋江抽齋・伊沢柏軒等旧蔵)・「北魏造像銘石片」など
会場②『唐文粋』(冷泉家旧蔵)・『史記』(慶長古活字版)・『正始文程』(朝鮮本)など


[記念講演会]
「知識は東アジアの海を渡った―学習院大学の東アジア研究を語る」
日時:2010年1月31日(日)14:00~16:00
会場:日経セミナールーム(丸善・丸の内本店3階)
講演者:小倉芳彦・濱田耕策

[ギャラリートーク] *学習院大学の教職員
会場①1月27日~1月30日の18:30~19:30、1月31日の10:30~11:30.
[展示品解説] *村松弘一
会場①1月27日~1月29日・2月1日の12:15~12:45
会場②1月27日~1月29日・2月1日の14:30~15:00

漢籍セミナー

第6回 TOKYO 漢籍 SEMINAR
「罪と罰―伝統中国における法と裁判」
日時:3月13日(土)10:30~16:00
会場:学術総合センター 2階中会議場
参加定員:200名(申し込み順)
聴講料:無料

プログラム
10:30~10:45 岩井茂樹 開会挨拶
10:45~11:00 井波陵一 テーマ趣意説明
11:00~12:10 宮宅潔「神の裁きから人の裁きへ―秦漢時代の裁判制度」
13:10~14:20 辻正博「礼教の刑罰―流刑」
14:40~15:50 岩井茂樹「お上を訴える―訴訟文書と『絲絹全書』」
15:50~16:00 閉会挨拶
司会 武田時昌
 
参加希望者は、「漢籍セミナー申込み」と明記し、
氏名・所属・連絡先(住所・電話番号・E-mailアドレス)等を記入の上、
下記宛先へはがき(E-mail又はFAX可)にて申し込み。
申込及び問合せ先:
 京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター事務掛
  〒606-8265 京都市左京区北白川東小倉町47番地

2010年1月18日月曜日

ツチノコの民俗学

伊藤龍平『ツチノコの民俗学―妖怪から未確認動物へ―』(青弓社、2008年8月)

以前、買おう買おうと思っていたのに、
すっかり忘れていた本をしょぼい本屋で偶然発見。
ついつい購入してしまいました。

UMA(未確認動物)として有名なツチノコ。
江戸時代に「妖怪」と認識されていたツチノコは、
1970年代に「幻のヘビ」として取り上げられ、
未確認動物として普及していった。

前半(第一章・第二章)は民俗学の視点から、
江戸期におけるツチノコ類とその関連領域について詳説。
本草書中の怪蛇や中国の蠱毒にも触れている。
後半(第三章・第四章)は1970年代以降における
ツチノコ像の固定化、マンガ等におけるツチノコ受容、
観光資源化など、妖怪から未確認動物への変化について論じている。
UMA(未確認動物)の民俗学っていうのが、
なんだか新鮮な気がして面白い。

著者は台湾の南台科技大学の教員。
ドラえもんに出てくるツチノコが、
中華圏でどう翻訳されているか比較し、
海外におけるツチノコ受容についてもちょっと触れている。
このテーマも深化させたら面白そう。

2010年1月17日日曜日

古代日本における『史記』の受容をめぐって

池田昌広「古代日本における『史記』の受容をめぐって」(『古代文化』61-3、2009年12月)

古代日本が受容した『史記』について検討。
『史記集解』に本文と注の双方が備わっていたことを確認し、
日本で作られた『二中歴』をもとに、その構成を復元。
また、日本にはじめて『史記』の本文が伝えられたのは、
吉備真備が請来した『史記集解』であるとする。
漢籍研究における和文献の重要性を再確認した。

内陸アジア出土古文献研究会 特別講演会

東洋文庫・内陸アジア出土古文献研究会 特別講演会
日時:1月22日(金)15時~17時
会場:明治大学博物館教室
張国剛「従西域出土戸籍資料看唐代的家庭結構」

2010年1月10日日曜日

威厳

今年の猫初めをどの写真にするか迷ったのですが、
年末に撮ったこの一枚に決めました。


王者の風格が漂ってます。

2010年1月9日土曜日

漢籍伝来

静永健『漢籍伝来―白楽天の詩歌と日本』(勉誠出版、2010年1月)

『白氏文集』が中世日本の文学に与えた影響を論じた論文集。
菅原道真、『竹取物語』などが取り上げられている。平易で読みやすかった。
特に興味深かったのが第四部の第三章にあたる「十三世紀の『白氏文集』」。
ほぼ同時代人の藤原定家と高麗の李奎報の詩歌から、
日本では旧抄本、高麗では宋刊本の『白氏文集』が用いられていたことを指摘。
日本と高麗の『白氏文集』受容の違い、
さらには13世紀以後の両地域の漢文学の違いについても言及している。

2010年1月7日木曜日

早稲田大学学術講演会

明清時代の稿本・鈔本・校本の鑑定について
講師:陳先行(上海図書館歴史文献センター副主任、国家文物鑑定委員会委員)
開催日時:2010/01/09(土)16:20 ~ 18:10
会場:戸山キャンパス39号館4階第4会議室
対象者:学生・大学院生・教職員・一般
参加費用:入場無料
主催 早稲田大学文学部中国文学研究室、早稲田大学中国古籍文化研究所

2010年1月6日水曜日

The Collection of 禿庵 TOKUAN —大谷瑩誠と京都の東洋学—

「The Collection of 禿庵 TOKUAN —大谷瑩誠と京都の東洋学—」
場所:大谷大学博物館
会期:2009年12月15日(火)~2010年2月13日(土)
休館日:通常休館日(日曜日・月曜日)
 冬期休暇期間(12月29日~1月6日)
 一般入試期間(2月9日~11日)
開館時間 10:00~17:00
観覧料 一般・大学生200円

大谷大学第13代学長大谷瑩誠が蒐集した
東洋学関係のコレクション約40点ほど展示。


記念講演会も開催。
日時:2010年1月16日(土)13:00~
会場:大谷大学響流館3階メディアホール
礪波護「大谷禿庵と京都の東洋学」

金沢貞顕

ということで、鎌倉つながりで、
永井晋『金沢貞顕』(吉川弘文館、2003年7月)と
永井晋『北条高時と金沢貞顕―やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡』(山川出版社、2009年10月)
を読みました。

『北条高時と金沢貞顕』は、日本史リブレット人シリーズの035。
金沢貞顕に関する内容は、おおむね『金沢貞顕』を踏襲しているが、
『金沢貞顕』にはあまり書かれていなかった、
北条高時政権の抱えてた問題点にも切り込んでいる。

北条高時といえば、闘犬好きの暗君というイメージがあったが、
実際には、病弱で穏やかな人物で、必ずしも無能ではなかったようだ。
(既に80年代終わりには、こうした高時像が知られていて、
マンガ「風の墓標」や大河ドラマ「太平記」にも反映していたらしい。
不勉強ゆえ、知らなかった……)

また、高時政権を支えた金沢貞顕は、
保守的だが有能な調整型の政治家であり、
長崎高資などの能吏も多かったので、
高時政権はそれなりに安定していた。

しかし、穏やかな安定志向の政権では、
当時発生していた矛盾・問題、情勢の変化に対応できず、
鎌倉幕府は滅亡にいたってしまった。


敗者をどう評価するか、
その難しさを感じさせられました。

内藤礼個展

先日、神奈川県立近代美術館の鎌倉館で開催されている
「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」に行ってきました。

内藤礼の作品は、いつ、どこで見ても、
繊細で、ひそやかで、かすかな温かさを感じさせる。
正直、よくわからないなぁ、と思うけど、
なんだか気になって、次も見たくなってしまう。
そんな感じの作品。

とはいえ、実際に見るのは、
一昨年の「パラレル・ワールド展」(東京都現代美術館)、
昨年の個展(ギャラリー小柳)に続いて、
三度目にすぎないのですが。

今回は神奈川県立近代美術館・鎌倉館の武骨な建物の内外に、
9種類の作品を展示している。
いずれも、人の動きや自然の光・風などによって、
かすかに反応し、変化する作品。
穏やかで、自己主張がなくて、
うっかりすると見落としてしまいそう。
作品のアップ写真はダメだそうですが、
美術館の風景写真の中に写る分には問題ないそうです。

曇りの日や雨の日は、また違った表情をみせるんでしょうね。

美術館の上をトンビがたくさん飛んでいました。
それもまたよかったです。


内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している
神奈川県立近代美術館 鎌倉
2009年11月14日(土)~2010年1月24日(日)
時間:9時半~17時
休館日:1月12日、月曜日
観覧料:一般700円、学生550円

2010年1月3日日曜日

歴史はもっとおもしろい

福岡大学人文学部歴史学科編著『歴史はもっとおもしろい―歴史学入門12のアプローチ』(西日本新聞社、2009年11月)

福岡大学人文学部歴史学科の教員による歴史入門書で、
『歴史はおもしろい』の続編。
アジア史関係は、以下の5篇。
則松彰文「大英帝国の苦悩と中国巨大市場」
桃崎祐輔「中世博多のチャイナタウン」
山根直生「論文までの迷い道」
紙屋正和「秦王朝:「歴史」による占領地の支配」
武末純一「武寧王を知っていますか?」
その他の日本史・西洋史の文章もわかりやすく面白かった。

個人的には、松塚俊三「書くこと、読むこと、話すこと」が興味深かった。
18世紀以前のヨーロッパにおける「読み書き能力」や「ことば」などを
紹介するなかで、「書くこと」はできないけど、「読むこと」はできた民衆に
着目し、その豊かな文化について述べている。