『歴史学研究』863号(2010年2月号)の小特集は、
「近代史学史再考―アジアの事例から―」。
中国・イラン・タイ・マレーの事例を取り上げている。
吉澤誠一郎「中国における近代史学の形成―梁啓超「新史学」再読―」
守川知子「「イラン史」の誕生」
小泉順子「『ラタナコーシン王朝年代記』の改訂と史料編纂」
左右田直規「植民地教育と近代歴史学―英領マラヤのマレー語歴史教科書に関する一考察―」
コメント:宮地正人
どれも面白かったのですが、個人的には守川論文と小泉論文が印象的でした。
守川論文は、「イラン」地域において、「イラン史」という枠組み自体が、
19世紀後半にヨーロッパから受け入れたことを指摘。
英国のマルコム著『ペルシアの歴史』が、1870年~72年にペルシア語訳されたが、その際、使用された書名が「イランの歴史」であり、
この本がペルシア語で発表された最初の「イラン史」であるとする。
『ペルシアの歴史』の翻訳者(ヘイラト)については、特に言及されていませんでしたが、どんな人なのかちょっと気になります。
小泉論文は、19世紀半ば頃に作られた年代記と20世紀に作られた改訂版年代記で、タイと清朝の関係についての記述が大幅に変更されており、 朝貢関係の記事が、加筆・修正・削除されていることを指摘。 年代記の改訂に、20世紀初頭のタイ内外の政治状況が反映されているとする。
ずいぶん前に、20世紀のタイでどのように「歴史」・「伝統」が創出されたかを論じた小泉順子『歴史叙述とナショナリズム―タイ近代史批判序説―』(東京大学出版会、2006年)を読んで、史学史の重要性を感じたことを思い出しました。
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