山崎覚士「五代の「中国」と平王」(宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』汲古書院、2009年7月)
五代期に特有の在り方を示す東・西・南・北平王に着目。
四平王は、華北諸政権の実効支配領域の境界付近勢力(節度使)に付与され、
「中国」の範囲を示した指標的官職であるとする。
そして、宋によって「天下」統一が果たされ、歴史的役割を終えたとする。
また、四平王のうち、南平王(荊南)は、現在では十国のうちの一つに
数えられているが、 五代・北宋初には十国に数えられておらず、
欧陽脩撰『五代史記』の成立によって、十国と規定されるようになったことを指摘。
宋朝の生み出した「五代十国」史観の相対化の必要性を述べる。
大変、興味深い論考。宋朝の前代史観が現在の歴史観をも規定していることは、
平田陽一郎「唐代兵制=府兵制の概念成立をめぐって―唐・李繁『鄴侯家伝』の史料的性格と位置づけを中心に―」(『史滴』147、2002年9月)も指摘している。
宋代以前を研究する上でも、宋代の研究が欠かせないことを改めて実感。