今年の東方学者会議は、
「第二回中日学者中国古代史論壇」も
併設されるそうです。
「第二回中日学者中国古代史論壇」
日程:2010年5月21日(金)10時半~
会場:日本教育会館
テーマ:魏晋期南北朝期における貴族制の形成と三教・文学
全体会 (701・702会議室)
10:30-10:40 池田知久・卜憲群「趣旨説明」
10:40-11:00 中村圭爾「魏晋南北朝の貴族と郷里社会」
11:00-11:20 李憑「論北魏宣武帝朝的儒学伝播」
11:20-11:40 凍国棟「試述葛洪的文論及其対二陸的評価諸問題」
11:40-12:00 陳長琦「六朝貴族与九品官人法」
12:00-12:20 コメント 楼勁
分科会1:思想・文学(702会議室)
13:10-13:30 小林正美「東晋・南朝における「佛教」・「道教」の称呼の成立と貴族社会」
13:30-13:50 楼勁「魏晋子学与思想界」
13:50-14:10 厳耀中「関于北魏的堯帝崇拜」
14:20-14:40 王啓発「葛洪的道論与魏晋士人的精神生活」
14:40-15:00 劉安志「六朝買地券研究二題」
15:00-15:20 魏斌「《東陽金華山棲志》与南朝名山的生活空间」
15:30-15:50 コメント 辛賢
分科会2:史学(701会議室)
13:10-13:30 川本芳昭 「北朝の国家支配と華夷思想」
13:30-13:50 卜憲群「三十年以来中国古代史研究的新趨向」
13:50-14:10 梁満倉「論曹操墓出土的部分文物与歴史文献的関係」
14:20-14:40 胡阿祥「地志勃興与山水方滋―東晋南朝人口南遷与学術文化変遷転型」
14:40-15:00 羅新「北魏皇室制名漢化考」
15:00-15:20 張軍「華夷之間:十六国北朝時期北方少数民族―家・族譜系変更現象考論」
15:30-15:50 コメント 李憑
全体会 (701・702会議室)
16:00-16:20 総括コメント 興膳宏
16:20-17:00 総合討論
参加ご希望の方は、住所・氏名・所属・専門・参加希望部会を明記の上、
電話・ファックスまたはEメールで東方学会まで連絡のこと。
う~ん、すごいの一言。
これだけ豪華なメンバーが日本で見られる機会は
そうそうないような気がします。
はたして、一人当たり20分という制限時間は守られるのだろうか。
2010年4月2日金曜日
第55回国際東方学者会議 東京会議
第55回国際東方学者会議 東京会議
日程:2010年5月21日(金)10時~
場所:日本教育会館7・8階
部会Ⅰ:地方化を通じた国際化―交趾・林邑・扶南の新出考古資料の考察
10:45‑11:45 NGUYEN Quoc Manh (ベトナム)「オケオ文化―1990年から2010年までの二十年間におけるベトナムの調査成果からの考証および考察」
13:00-13:40 平野裕子「メコン河下流域における国際化と地方化―港市オケオを中心とする文化交流の考察から」
13:40‑14:20 山形真理子「林邑の国際化と地方化―都城遺跡出土遺物の検討
14:20‑15:00 俵寛司「北部ベトナムの墳墓―埋葬資料に見る漢文化の受容と在地化」
15:15‑16:15 コメント 新田栄治・肥塚隆
部会Ⅱ:インド仏教における意識の形成と認識の転換
報告内容省略
部会Ⅲ:日中文化交流史の諸問題―古代中世を中心に
10:45‑11:45 黄正建「唐代衣食住行研究与日本資料」(翻訳:河上麻由子)
13:00‑13:35 東野治之「日唐交流と鑑真」
13:35‑14:10 藤原克己「日中文化交流史のなかの『源氏物語』」
14:10‑14:40 コメント 榎本淳一
15:00‑15:35 榎本渉「平安王朝と宋代医学」
15:35‑16:10 OLAH Csaba (ハンガリー)「 「入明記」からみる日明外交文化」
16:10‑16:50 コメント 橋本雄
部会Ⅳ:蒋介石の西南建設と対外政策
10:50‑11:25 家近亮子「蒋介石による西南建設の戦略的意義」
11:25‑12:00 家永真幸「国民政府の西南建設とパンダ外交」
13:00‑13:35 鹿錫俊「蒋介石のドイツ政策――重慶時代を中心に」
13:35‑14:10 呂芳上「1942年における蒋介石のインド外交の旅―柔軟な国際主義者の外交経験」
14:30‑15:30 コメント戸部良一・田嶋信雄
美術史部会
10:40‑11:10 友田真理「漢代画像石に見る風雨表現の諸相」
11:20‑11:50 許棟「曹氏帰義軍時期敦煌の「五台山図」について」
13:30‑14:00 佐藤有希子「雲南省・地蔵寺経幢に関する一考察」
14:10‑14:40 徐男英(韓国)「河北出土白玉像に関する再解釈」
14:50‑15:20 井上一稔「清凉寺釈迦如来像と奝然」
個人的には部会Ⅲに興味がある。
あと、部会Ⅳの「パンダ外交」も、かなり気になる。
民国時代からパンダ外交ってあったんだ。
日程:2010年5月21日(金)10時~
場所:日本教育会館7・8階
部会Ⅰ:地方化を通じた国際化―交趾・林邑・扶南の新出考古資料の考察
10:45‑11:45 NGUYEN Quoc Manh (ベトナム)「オケオ文化―1990年から2010年までの二十年間におけるベトナムの調査成果からの考証および考察」
13:00-13:40 平野裕子「メコン河下流域における国際化と地方化―港市オケオを中心とする文化交流の考察から」
13:40‑14:20 山形真理子「林邑の国際化と地方化―都城遺跡出土遺物の検討
14:20‑15:00 俵寛司「北部ベトナムの墳墓―埋葬資料に見る漢文化の受容と在地化」
15:15‑16:15 コメント 新田栄治・肥塚隆
部会Ⅱ:インド仏教における意識の形成と認識の転換
報告内容省略
部会Ⅲ:日中文化交流史の諸問題―古代中世を中心に
10:45‑11:45 黄正建「唐代衣食住行研究与日本資料」(翻訳:河上麻由子)
13:00‑13:35 東野治之「日唐交流と鑑真」
13:35‑14:10 藤原克己「日中文化交流史のなかの『源氏物語』」
14:10‑14:40 コメント 榎本淳一
15:00‑15:35 榎本渉「平安王朝と宋代医学」
15:35‑16:10 OLAH Csaba (ハンガリー)「 「入明記」からみる日明外交文化」
16:10‑16:50 コメント 橋本雄
部会Ⅳ:蒋介石の西南建設と対外政策
10:50‑11:25 家近亮子「蒋介石による西南建設の戦略的意義」
11:25‑12:00 家永真幸「国民政府の西南建設とパンダ外交」
13:00‑13:35 鹿錫俊「蒋介石のドイツ政策――重慶時代を中心に」
13:35‑14:10 呂芳上「1942年における蒋介石のインド外交の旅―柔軟な国際主義者の外交経験」
14:30‑15:30 コメント戸部良一・田嶋信雄
美術史部会
10:40‑11:10 友田真理「漢代画像石に見る風雨表現の諸相」
11:20‑11:50 許棟「曹氏帰義軍時期敦煌の「五台山図」について」
13:30‑14:00 佐藤有希子「雲南省・地蔵寺経幢に関する一考察」
14:10‑14:40 徐男英(韓国)「河北出土白玉像に関する再解釈」
14:50‑15:20 井上一稔「清凉寺釈迦如来像と奝然」
個人的には部会Ⅲに興味がある。
あと、部会Ⅳの「パンダ外交」も、かなり気になる。
民国時代からパンダ外交ってあったんだ。
中国の出版・書物文化における大変貌
ルシア・チア「中国の出版・書物文化における大変貌―初期スペイン領フィリピンにおける中国の書物と出版」(高津孝編訳『中国学のパースペクティブ―科挙・出版史・ジェンダー』勉誠出版、2010年4月)
16世紀末~17世紀初頭の短期間のみ行われた、
フィリピンにおける宣教師による中国書の出版や漢籍の翻訳、
木版・活版の区別、フィリピンへの漢籍の流入状況などについて論じた後、
東南アジアにおける中国の文芸の伝播の差異について考察。
フィリピンのみが、他の東南アジア地域と異なり、
非受容的であったことを指摘している。
この時期の日本への漢籍の流入については、
大庭脩氏の本などを読んでいて、多少知っていたが、
フィリピンや東南アジアは、これまで全く気にしたことがなかった。
東南アジアだけでなく、日本・朝鮮なども視野に入れて、
漢籍・文芸文化の伝播を研究しているのが、ほんとにすごい。
16世紀末~17世紀初頭の短期間のみ行われた、
フィリピンにおける宣教師による中国書の出版や漢籍の翻訳、
木版・活版の区別、フィリピンへの漢籍の流入状況などについて論じた後、
東南アジアにおける中国の文芸の伝播の差異について考察。
フィリピンのみが、他の東南アジア地域と異なり、
非受容的であったことを指摘している。
この時期の日本への漢籍の流入については、
大庭脩氏の本などを読んでいて、多少知っていたが、
フィリピンや東南アジアは、これまで全く気にしたことがなかった。
東南アジアだけでなく、日本・朝鮮なども視野に入れて、
漢籍・文芸文化の伝播を研究しているのが、ほんとにすごい。
宋代における垂簾聴政(皇后摂政)
ジョン・チェイフィー「宋代における垂簾聴政(皇后摂政)―権力・権威と女らしさ」(『中国学のパースペクティブ―科挙・出版史・ジェンダー』勉誠出版、2010年4月)
宋代において垂簾聴政(皇后摂政)が
他の時代より多く行われたことに注目。
九人の皇后による垂簾聴政の概要を述べ、
垂簾聴政が行われた背景について説明。
士大夫の力量の高さと外戚の排除によって、
垂簾聴政を行っても宋朝の秩序が乱されなかったこと、
最初の垂簾聴政を行った劉皇后が優れた摂政であり、
垂簾聴政に対して肯定的評価が生まれたことなどをあげている。
宋代にこれだけ多くの垂簾聴政が行われていたとは知らなかった。
確かに宋代の垂簾聴政はおもしろい問題のように思える。
しかし、垂簾聴政が多く行われた背景について、
チェイフィー氏が提示する見解は物足りなすぎる。
まぁ、確かに本人も「最近始めたばかりの研究について、
予備的な結論を提示するつもりである」といってるけど、
もう少し、なんとかなったんじゃないだろうか。
宋代において垂簾聴政(皇后摂政)が
他の時代より多く行われたことに注目。
九人の皇后による垂簾聴政の概要を述べ、
垂簾聴政が行われた背景について説明。
士大夫の力量の高さと外戚の排除によって、
垂簾聴政を行っても宋朝の秩序が乱されなかったこと、
最初の垂簾聴政を行った劉皇后が優れた摂政であり、
垂簾聴政に対して肯定的評価が生まれたことなどをあげている。
宋代にこれだけ多くの垂簾聴政が行われていたとは知らなかった。
確かに宋代の垂簾聴政はおもしろい問題のように思える。
しかし、垂簾聴政が多く行われた背景について、
チェイフィー氏が提示する見解は物足りなすぎる。
まぁ、確かに本人も「最近始めたばかりの研究について、
予備的な結論を提示するつもりである」といってるけど、
もう少し、なんとかなったんじゃないだろうか。
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