2012年9月30日日曜日

2012年度東北史学会

2012年度東北史学会
日時:2012年10月6日(土)・7日(日)
場所:岩手大学教育学部北桐ホール

10月6日 13:00~16:15
公開講演 震災と歴史学
保立道久「平安時代における奥州の規定性―九世紀陸奥海溝地震を切り口に―」
大門正克「「生存」を問い直す歴史学―震災後の現在と岩手県の戦後史との往還を通じて―」

10月7日 東洋史部会 9:30~ 場所:岩手大学教育学部E27教室
佐々木仁志「義帝約考」
中本圭亮「後漢順帝期の人事制度改革について」
見城光威「後晋政治史研究―出帝即位前史―」
深澤秀男「変法運動と光緒帝」

2012年9月20日木曜日

2012年度史学会大会

2012年度史学会大会
日時:11月10日(土)・11日(日)
場所:東京大学法文1号館・2号館

11月11日(日) 東洋史部会 法文1号館113番教室
研究発表 10:00~12:00
佐治奈通子「メフメト2世・バヤズィト2世期の鉱山地域に対するカーヌーンナーメの内容と分析」
齊藤茂雄「突厥第二可汗国の内部対立―古代チベット語文書「北方誌」にみえるブグチョル('Bug-chor)の検討から―」
岡田雅志「18世紀における中越境界地域の社会変容」
工藤裕子「オランダ領東インド・スマランにおける華人系銀行の諸形態―1900~1920年代を中心に―」

研究発表13:00~16:30
邉見統「高祖系列侯の政治的位置づけの変化をめぐって」
林美希「唐前半期の馬政と閑厩」
呉志宏「唐代左・右蔵庫の変遷と内庫との関係」
津坂貢政「書法にみる朱熹の美的価値基準とその淵源―福建道学系士人の題跋を素材に―」
中野耕太「高麗武人政権における軍事力掌握と政局の動向」
鈴木開「朝鮮丁卯胡乱考―後金との外交交渉の局面を中心に―」
河野正「朝鮮戦争時期、中国農村における戦時動員と軍隊生活」

2012年9月19日水曜日

東アジアをむすぶ漢籍文化

東アジアをむすぶ漢籍文化-敦煌から正倉院、そして金沢文庫へ-
日程:2012年11月2日(金)、3日(土) 10:00~16:30
場所:国立歴史民俗博物館講堂
定員:250名

11月2日(金)
10:30 基調報告「東アジアをむすぶ漢籍文化」
神鷹德治「敦煌と繋がる日本の漢籍」
許逸民「中国における漢籍出版の現状」
金卿東「朝鮮文献に見える『白氏文集』-「何処難忘酒」詩をめぐって」
コメンテーター:王勇
                               
13:00 第一部 「敦煌学一百年」
許建平「敦煌詩経写巻研究綜述」
影山輝國「『論語義疏』の声点について-敦煌本と日本鈔本」
コメンテーター:神鷹德治
                              
 14:30 第二部「歴博所蔵の漢籍をめぐって」
中尾健一郎「二つの『梅花無尽蔵』抄本」
汪春泓「『史記』と『漢書』の編纂をめぐる問題」
陳翀「上杉本『史記』について」
コメンテーター:土屋聡

11月3日(土)
10:00 第三部「日本の〈ふみくら〉と旧鈔本の世界」
大渕貴之「王羲之書「楽毅論」の「千載一遇」句について-正倉院御物光明皇后写本の原型を探る-」
陳尚君「『先秦漢魏晋南北朝詩』の増訂作業」
杜暁勤「金沢本『白氏文集』に見える詩歌分類の原型」
住吉朋彦「九条家本『白氏文集』巻十六残簡出現の意義」
コメンテーター:静永健

13:00 第四部「東アジアの文選学」
佐竹保子「九条家本『文選』について」
游志誠「『集注文選』研究」
傅剛「日本現存資料から読み解く『文選』の原形-写本から刻本への改編を考える」
コメンテーター:陳翀(広島大学)

14:15 第五部「聖教と漢籍-中世の知の実像に迫る」
盧盛江「空海『文鏡秘府論』の対属論研究について」
張伯偉「中国の禅思想と文学との関わり」
堀川貴司「五山僧の別集に見る偈頌と詩」
西岡芳文 「称名寺聖教類について」
福島金治「北条実時本『斉民要術』をめぐる京・鎌倉のひとびと」
コメンテーター:井原今朝男

申し込み方法
E-mailまたは往復ハガキにて「歴博国際シンポジウム11月2・3日参加希望」と明記の上、住所・氏名(ふりがな)・電話番号を記入し、下記まで申し込み。
〒285-8502 千葉県佐倉市城内町117番地
国立歴史民俗博物館 研究協力課国際交流係
kokusai-e■ml.rekihaku.ac.jp ■を@に置き換えてください。

2012年9月5日水曜日

日本中国学会第64回大会

日本中国学会第64回大会
日時:2012年10月6日・7日
場所:大阪市立大学杉本キャンパス

研究発表プログラム
【哲学思想部会】(全学共通教育棟811教室)
10月6日(土)午前
10:00~10:30 高田哲太郎「呂氏春秋の天―統一理念の前提―」
10:35~11:05 工藤卓司「『史記』『淮南子』中の豫讓復讐物語」
11:10~11:40 影山輝國「皇侃と科段説」

10月6日(土)午後
13:30~14:00 福谷彬「宋学における「思孟学派」観の成立について」
14:05~14:35 青木洋司「呉棫の『尚書』解釈―『書裨傳』を中心として―」

10月7日(日)午前
09:30~10:00 大野裕司「陳元靚『上官拜命玉暦』について―宋代術數學(擇日術)の特色を探る―」
10:05~10:35 三澤三知夫「王畿の経書解釈について―『大象義述』を中心として―」
10:40~11:10 井澤耕一「南宋末、士大夫たちは「四書」を如何に読み解いたのか―上海図書館蔵『金匱要略方』の紙背文献に関する一考察―」

10月7日(日)午後
13:30~14:00 田中有紀「何瑭の形神二元論」
14:05~14:35 王晶「溝口雄三の知的実践―「日中・知の共同体」を通じて―」

【文学語学部会】(基礎教育実験棟階段教室)
10月6日(土)午前
10:00~10:30 恩塚貴子「漢末魏初に於ける書牘体の変化―その内容と文体を中心に―」
10:35~11:05 戸高留美子「「魏都賦」における西晋王朝の正当性立証の過程について」
11:10~11:40 竹澤英輝「『文心雕龍』における劉勰の「神」の概念について」

10月6日(土)午後
13:30~14:00 谷口匡「柳宗元の「説」について」
14:05~14:35 長谷川真史「中唐における連昌宮の荒廃と元稹」

10月7日(日)午前
09:30~10:00 二宮美那子「園林の「小空間」―白居易詩文における私的空間の位置づけについて―」
10:05~10:35 谷口高志「愛好という病―中晩唐期における詩人たちの偏愛・偏好への志向」
10:40~11:10 林雪雲「蘇軾の妻妾に対する観念」

10月7日(日)午後
13:30~14:00 福田知可志「再婚をめぐる怪異譚―『夷堅志』「張夫人」の物語を中心に―」
14:05~14:35 李海「梁啓超の詩論と德富蘇峰」
14:40~15:10 平田昌司「京都市左京区における茅盾」
15:15~15:45 吉川龍生「映画『武訓伝』と孫瑜映画のファンタジー」
15:50~16:20 田中祐輔「中国の大学専攻日本語教科書の現代史―日本語教科書が包摂する「国語教育」に付与された教育思想的役割―」

【日本漢文部会】(全学共通教育棟811教室)
10月7日(日)午後
14:40~15:10 横山俊一郎「江戸時代後期における〈実務家〉としての儒者―瀬戸内諸藩における懐德堂学術の受容を中心として」
15:15~15:45 矢羽野隆男「幕末懷德堂の陵墓調査―最後の教授・並河寒泉の活動」

【COE成果報告】(基礎教育実験棟階段教室)
10月6日(土)午後
14:40~15:10 佐藤進「21世紀COEプログラム「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」とその継続事業」
15:15~15:45 吾妻重二「グローバルCOEプログラム「東アジア文化交渉学の教育研究拠点形成」(ICIS)の成果と展望」

【展示紹介】(基礎教育実験棟階段教室)
10月7日(日)午前
11:15~11:45 齋藤龍一「大阪市立美術館山口コレクション中国佛教・道教彫刻について」

【特別講演】(基礎教育実験棟階段教室)
10月6日(土)16:00~17:00
王水照「宋代文学研究中的学理性建構―以文学与科学、家族、伝播、地域、党争之関係爲中心」

2012年9月4日火曜日

近代中国研究入門

岡本隆司・吉澤誠一郎編『近代中国研究入門』(東京大学出版会、2012年8月)

現在の中国近代史研究に対する強い危機意識のもと執筆された研究入門。「近代」の範囲は、おおまかにいって「一九世紀がはじまる前後から、中華人民共和国の成立あたり」までとする。研究論文・著書を網羅的に紹介する形はとっていない。また、論文の書き方マニュアルでもない。基礎史料や文献を紹介しつつ、歴史研究の姿勢・作法を説く形をとっている。

目次は以下の通り。
序章:研究の前提と現実(岡本隆司)
第一章:社会史(吉澤誠一郎)
第二章:法制史(西英昭)
第三章:経済史(村上衛)
第四章:外交史(岡本隆司)
第五章:政治史(石川禎浩)
第六章:文学史(齋藤希史)
第七章:思想史(村田雄二郎)
座談会:近代中国研究の現状と課題

耳に痛い、いや、胸をえぐるような指摘が随所になされていて、反省させられることしきり。資料状況に違いはあるものの、殆どが中国史全体にあてはまる指摘で、前近代史研究志望者にとっても必読文献ではなかろうか。

ちなみに第五章では、問題意識が希薄で、細かな事象精査にとどまっている研究を「隣家に子猫が生まれた」式の研究としている。この比喩は、スペンサーのエッセイに見え、明治日本経由で清末・民国初の中国で愛用された言い回しらしい。否定的な意味なのだけど、なんだか気に入ってしまった。ついつい自虐で使ってしまいそう。

座談会は、執筆者の本音と苦悩が垣間見えて、耳に痛い内容であるけれど、楽しみながら読めた。高所からの若手批判ではなく、現在の研究者をとりまく環境・圧力を踏まえつつ、普段いいにくいアドバイスをしている感じ。あと、現代中国研究者の近代史に対する姿勢に違和感を述べているのも印象的。

2012年9月1日土曜日

新発見の歐陽脩書簡について

東英寿「新発見の歐陽脩書簡について」(『九州大学中国学会報』50、2012年5月)
東英寿「歐陽脩の書簡九十六篇発見記(上)―九十六篇はなぜ忘却されてしまったのか」(『東方』376、2012年6月)
東英寿「歐陽脩の書簡九十六篇発見記(中)―いかにして発見は生まれたのか」(『東方』377、2012年7月)
東英寿「歐陽脩の書簡九十六篇発見記(下)―日本、中国における反響」(『東方』378、2012年8月)

冒頭の論文は、東英寿氏が発見した欧陽脩の書簡96篇の送り先と収蔵元について表にまとめて紹介したのち、特に4篇にしぼって内容を簡単に紹介したもの。蘇洵の文章に対する評価や、范仲淹の神道碑をめぐるやりとりなどが記されている。
『東方』の三本の文章は、発見の経緯と反響についてまとめたもの。日本では、こういう発見がまだまだあるはず。地味な書誌学調査の重要性がよくわかる。それにしてもマスコミの影響力の大きさにびっくり。

『日本中国学会報』64(2012年10月予定)に「歐陽脩の書簡九十六篇の発見について」という論文が掲載され、今年度中に『歐陽脩の新発見書簡九十六篇―歐陽脩全集の研究』(研文出版)を刊行するそうだ。