2010年9月5日日曜日

三菱が夢見た美術館

現在、三菱一号館美術館で開催されている
「三菱一号館美術館開館記念展〈Ⅱ〉三菱が夢見た美術館―岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」を見に行ってきました。

岸田劉生《童女像(麗子花持てる)》がトップを飾る
現在配られているチラシを見る限り、全くもって興味わかないのだけど、


以前、配られていたらしいチラシを見ると、
途端に興味がわいてくる。


展覧会の構成は次の通り
序章「「丸の内美術館」計画:三菱による丸の内の近代化と文化」
第1章「三菱のコレクション:日本近代美術館」
第2章「岩崎家と文化:静嘉堂」
第3章「岩崎家と文化:東洋文庫」
第4章「人の中へ街の中へ:日本郵船と麒麟麦酒のデザイン」
第5章「三菱のコレクション:西洋近代絵画」
終章「世紀を超えて:三菱が夢見た美術館」

正直言って、目当ては第2章・第3章のみ。
静嘉堂、そして東洋文庫の名品を見ることができる。

三菱一号館美術館は、今年の四月に開館したばかり。
明治時代の三菱一号館を復元させた作り。
レンガ造りで見た目はものすごく歴史ありそう。
内部に入ってみると、美術館とは思えない狭さ。
でも、この狭さが鑑賞に心地よい。

最初は、序章・第1章は素通りしようかと思っていたのだけど、
見たら見たで結構いい感じ。図録のカバーデザインにもなっている
黒田清輝の《春の名残》がなかなかよかった。

で、いよいよ第2章。
岩崎彌之助・小彌太が収集した古典籍・美術品をおさめた静嘉堂。
その逸品が並んでいる。

まずはじめは、南宋前期刊『周礼』と南宋初期刊『李太白文集』。
陸心源の旧蔵書に由来する南宋版。もちろん両方とも重要文化財。
素人から見ても、かっこいい刷り上がり。
蔵書印も見てると面白い。パスパ文字(多分)のものや、
肖像画を描いた蔵書印(陸心源?)もある。

お次は、曜変天目(国宝)。
茶器には全くと言っていいほど興味ないのだけど、
この茶器は本当にすごかった。
12~13世紀の建窯産だけど、現代陶磁器も真っ青のデザイン。
黒茶碗の内側に青光りする斑点。偶然なのかもしれないけど、
時代を越えたデザインってこういうのを言うのではなかろうか。

あと、松永久秀が持っていた付藻茄子(九十九茄子)も展示してある。
参観中は、九十九茄子は松永久秀自害の時に壊されたはずだから別物だろう、
と勘違いして、じっくり見なかったのだけど、
よくよく思いだしたら、道連れに壊されたのは平蜘蛛だった。
図録の解説を見たら、久秀から信長にわたり、本能寺の変にも巻き込まれたが、
なんとか救われ、秀吉のもとへ。そして今度は大阪夏の陣に罹災。
損壊してしまったが、惜しんだ家康が焼け跡から破片を回収させて、
修復させたという。
いや~、激動の茶器だわ。


う~ん、こんな調子で紹介してたら、先に進まないですね。
では第3章「岩崎家と文化 東洋文庫」に。

もうここは、書名だけでも十分かもしれませんね。
国宝『毛詩』、国宝『文選集注』、
重要文化財『楽善録』、重要文化財『論語集解』。

『毛詩』と『論語集解』には、ヲコト点や半切・訓点が
書き込まれていて見ていて飽きない。
しかも『論語集解』は、ちょうど学而篇の冒頭
「子曰学而時習之不亦悦乎」が展示されているし。
うろ覚えのヲコト点の知識でも楽しめる。
今思ったのだけど、ヲコト点図をもっていけばさらに楽しめたかも。
持っていけばよかったなぁ……。

『ターヘル・アナトミア』と杉田玄白訳『解体新書』が
隣り合わせにおかれているのもなかなかの演出。

坂本龍馬熱にあやかって、海援隊が出版した和英対照発音ハンドブックの
『和英通韻以呂波便覧』も展示してある。

乾隆帝期の『平定準■[口+葛]爾方略(満文)』は、
満文が縦書きで左から右に表記するため、左開きになっている。
縦書き=右開きに慣れているので、違和感たっぷり。

あと16~18世紀の日本・アジア地図五点も見ていて飽きない。
他にも日本の古活字本や朝鮮本などなど、いろんなものがあります。
東洋文庫の名品をまとめてみる機会は、
そうそうないので、ほんっとに眼福でした。

第4章~終章は省略します。
最後の最後に三菱が丸の内を購入したころの風景画、
郡司卯之助「三菱ヶ原」が飾ってあります。
まるで野原。100年の月日の重さを感じます。


今回の展覧会の会期は、11月3日(水・祝)までで、休館日は月曜日です。
開館時間は、水・木・金は10時~20時、火・土・日は10時~18時。
当日券は、一般1300円、学生1000円です。
また、何回か展示替えがあります。
残念ながら曜変天目は今日(9月5日)までだそうです。

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追記:9月14日(火)21:20

『論語集解』を紹介する時に、学而篇の冒頭を掲げましたが、
ふと「なんか違うなぁ」と思って、よくよく見てみると、
「不亦説乎」とあるべき箇所が「不亦悦乎」となってました。
修正しなきゃ、と思ったのですが、念のため図録を見返すと、
やっぱり「不亦悦乎」となってます。
残念ながら、図録では左傍に書かれた注記まではよめず。
その場で気づけばよかった……。
旧抄本ゆえのことなのか、別の原因があるのか、
調べてないのでわかりませんが、とりあえずそのままにしておきます。