2010年2月5日金曜日

『金瓶梅』第三十九回の構成

田中智行「『金瓶梅』第三十九回の構成」(『東方学』119、2010年1月)

『金瓶梅』は読んだことないので、さっと見るだけにしようかと思ったら、
面白くてしっかり読んでしまいました。
『金瓶梅』では九のつく回に重要事件が起きる、という先行研究の指摘を踏まえ、
一見、大した事件が起きたようには見えない第三十九回の内容を検討し、
どのような意味が隠されているのか明らかにしている。
『西遊記』にしろ、『紅楼夢』にしろ、明清の長編小説には、
緻密な計算が施されているものが多くて、その謎解きも面白い。
この論文の影響で、日下翠『金瓶梅―天下第一の奇書―』(中公新書、1996年7月)をついつい古本屋で買ってしまいました。

2010年2月3日水曜日

歴代名画記

宇佐美文理『歴代名画記―〈気〉の芸術論―』(岩波書店、2010年1月)

岩波書店の「書物誕生 あたらしい古典入門」シリーズの一つ。
このシリーズに『歴代名画記』が入っていること自体が面白い。
唐代までの絵画史(実態は画家史)の集大成であり、
北宋以降の画論と異なっている(一部先取りしているが)ことを指摘。

気分

一月下旬は、私生活でも研究でもないことのせいで、こんな気分でしたが、

今はちょっとのんびりしてます。

倭寇とはだれか

村井章介「倭寇とはだれか―十四~十五世紀の朝鮮半島を中心に―」(『東方学』119、2010年1月)

「倭寇は日本人か朝鮮人か」という議論の不毛さを指摘し、
「倭寇」は「境界人」であるという自説を再確認。
村井氏の説は、ずいぶん前から展開されている。
ただ、今回の論文では、韓国・中国における日本の倭寇研究(特に村井説)に
対する批判が引用されていて、とても興味深い。
今、話題になっている「日中歴史共同研究」での中国側コメントも
一部載っている。
韓国側・中国側の「公式見解」(個人見解があるのかどうかはわからないけど)も、
ある程度理解できるし、それに対する村井氏のコメントもわかる。
現在と「国家」概念の異なる前近代史研究の難しさを実感した。

2010年2月1日月曜日

澶淵の盟と曹操祭祀

田中靖彦「澶淵の盟と曹操祭祀―真宗朝における「正統」の萌芽―」(『東方学』119、2010年1月)

真宗朝において、曹魏が「正統」視された背景を検討。
北宋が澶淵の盟の衝撃を受けて、複数の皇帝が並び立った三国時代に対する
評価を重視した結果、曹魏正統論を採用したとする。
また、こうした曹魏正統論が、「禅譲と封禅の終焉という大きな変革とともに、真宗朝を最後に歴史の表舞台から消えてゆく」ことを指摘。

2010年1月28日木曜日

日常/場違い



これまた、ちょっと前のことになりますが、
横浜の神奈川県民ホールギャラリーで開催されていた
「日常/場違い」展に行ってきました。
「日常」をモチーフ・テーマに、違和感・異空間などを感じさせる、
雨宮庸介・泉太郎・久保田弘成・木村太陽・佐藤恵子・藤堂良門の新作を展示。

とはいえ、難しく考えなくても、単純に眺めるだけで、
笑い出しちゃう作品が多くて、とても面白かったです。
特にバカバカしくてよかったのが、木村太陽と泉太郎の作品。
木村太陽の「巣穴/Der Bau」は、靴を脱いで四つん這いになって、
段ボール製の通路に入り、いくつかの映像を見るというもの。
なかで流れてる映像がまたくだらない。
鶏肉がDJ的なことしたり、レコードの上で顔につけたナイフでリンゴ切ったり。
最初、「巣穴」というタイトルを見たときに、
カフカの「巣穴」を連想したけど、どうもあまり関係ないみたいです。


泉太郎は、映像作品が10点くらいあったけど、
これまた、どれもこれもバカバカしい。
「デッドオアアライブオアウィンク」は、コインの表(天使)が出たら、
鳩に餌をあげたり、公園の植木に水をあげたり、といったささいな善行をするけど、
裏(悪魔)が出たら、鳩を追っかけまわしたり、芝生をふみつけたり、
といったしょーもないことをする映像作品。結局、「ウィンク」してないし。

泣きながら泣き顔を、笑いながら笑顔を、怒りながら怒り顔を描く「蚊」とか、
階段に、階段を転げ落ちる映像を映し出す「ほうとう」などなど、
単純だけど、ついつい笑ってしまう作品ばかり。
にしても、タイトルと中身の関連性がよくわからない。
これも「日常/場違い」の手法なんだろうなぁ。














久保田弘成の電信柱を洗車機で洗う「性神式」もインパクトあった。

屋外で見た東ドイツ製のトラバントを回転させる「Berlin Hitoritabi」も
回転速度がすごくて迫力あったなぁ。



日常的なものや考え方をちょっとずらして見せる。
思いつきそうで思いつかないバカバカしさがなんとも心地よかったです。

2010年1月27日水曜日

近代史学史再考

『歴史学研究』863号(2010年2月号)の小特集は、
「近代史学史再考―アジアの事例から―」。
中国・イラン・タイ・マレーの事例を取り上げている。

吉澤誠一郎「中国における近代史学の形成―梁啓超「新史学」再読―」
守川知子「「イラン史」の誕生」
小泉順子「『ラタナコーシン王朝年代記』の改訂と史料編纂」
左右田直規「植民地教育と近代歴史学―英領マラヤのマレー語歴史教科書に関する一考察―」
コメント:宮地正人

どれも面白かったのですが、個人的には守川論文と小泉論文が印象的でした。
守川論文は、「イラン」地域において、「イラン史」という枠組み自体が、
19世紀後半にヨーロッパから受け入れたことを指摘。
英国のマルコム著『ペルシアの歴史』が、1870年~72年にペルシア語訳されたが、その際、使用された書名が「イランの歴史」であり、
この本がペルシア語で発表された最初の「イラン史」であるとする。
『ペルシアの歴史』の翻訳者(ヘイラト)については、特に言及されていませんでしたが、どんな人なのかちょっと気になります。

小泉論文は、19世紀半ば頃に作られた年代記と20世紀に作られた改訂版年代記で、タイと清朝の関係についての記述が大幅に変更されており、 朝貢関係の記事が、加筆・修正・削除されていることを指摘。 年代記の改訂に、20世紀初頭のタイ内外の政治状況が反映されているとする。
ずいぶん前に、20世紀のタイでどのように「歴史」・「伝統」が創出されたかを論じた小泉順子『歴史叙述とナショナリズム―タイ近代史批判序説―』(東京大学出版会、2006年)を読んで、史学史の重要性を感じたことを思い出しました。

東アジア海文明の歴史と環境

国際シンポジウム「東アジア海文明の歴史と環境―中韓日研究者の語る東アジア海文明の未来像―」
日時:2010年2月27日(土)・28日(日)
会場:学習院大学西2号館

2月27日(土) 学習院大学西2号館201教室
13:00~13:10 趣旨説明
13:10~14:20 張東翼「高麗時代対外関係の諸相」
14:30~15:40 安介生「中国魏晋南北朝時期の海洋認識について」
16:00~17:10 佐藤洋一郎「稲作からみた東アジア海文明の環境史」

2月28日(日) 9:20~12:30部会報告
第Ⅰ部会 東アジア海文明における交流―列島・半島・大陸― 西2号館306教室
 鐘江宏之「藤原京造営期の日本における外来知識の摂取と内政方針」
 李文基「墓誌から見た在唐高句麗遺民の先祖意識」
 森部豊「7~8世紀の北アジア世界と安史の乱」
 呉吉煥「百済初期王系の成立について」
 畑中彩子「長登銅山にみる日本古代の銅山経営と流通」

第Ⅱ部会 越境するモノ・情報・認識 西2号館305教室
 禹仁秀「明清交替期の台湾鄭氏海上勢力に対する朝鮮の情報蒐集と対応」
 洪性鳩「韓国と満洲―満洲理解の歴史―」
 金知恩「朝鮮後期の星湖李瀷の東アジア観」
 荒川正明「福建と日本の陶磁」
 家永遵嗣「15世紀室町幕府の「辺境」認識の成立条件―将軍近臣と北辺・西辺の在地勢力―」

第Ⅲ部会 中国古代の地域と古環境の復元 西2号館304教室
 濱川栄「漢代徙民考」
 中村威也「里耶秦簡から見た民族と支配」
 長谷川順二「前漢期黄河故河道の復元―山東省聊城市~平原県~徳州市―」
 惠多谷雅弘「衛星リモートセンシングデータの古環境・遺跡調査への応用とその有効性について」
 黄暁芬「秦直道の調査と認識」

第Ⅳ部会 東方大平原における水運と流通 西2号館204教室
 樊如森「民国時期の黄河水運」
 市来弘志「五胡十六国北朝期の黄河下流における牧畜民の活動」
 水野卓「春秋邗溝考」
 青木俊介「邗溝と漢代東方水上交通」
 菅野恵美「山東地域における交通と図像の流通について」

第Ⅴ部会 東アジアの環境史―水利・技術・災害― 西2号館205教室
 村松弘一「東アジア史における陂と塢」
 小山田宏一「東アジア海沿岸低地の開発類型―鑑湖・碧骨堤・東大寺領名荘」
 大川裕子「銭塘江逆流と鑑湖―古代江南開発の再検討―」
 段偉「水利と災害からみた東アジア史―自然災害と中国古代の行政区の変遷」
 鄒怡「1391~2006年の龍感湖―太白湖流域の人口推移と湖の堆積物との呼応性―」

13:30~15:30 総括・討論
15:45~16:45 
 鶴間和幸「東アジア海文明の歴史と環境―5年間を振り返って―」


学習院大学主催の大型国際シンポジウム。
「東アジア海文明」は、まだいまいちピンとこないけど、
これだけのメンバーを集めたのは本当にすごい。

2010年1月26日火曜日

中国のイスラーム思想と文化

『アジア遊学129 中国のイスラーム思想と文化』(勉誠出版、2009年12月)

近年、研究が急速に進められている「中国イスラーム哲学」を中心に、
中国におけるイスラーム思想と文化に関する論稿を掲載。

明清代に登場した中国イスラーム哲学は、
朱子学の用語を使いつつ、独自の思想を打ち立てた。
面白そうだなぁと思いつつ、朱子学・イスラームに関する知識が乏しいため、
「中国イスラーム哲学」そのものを扱った論稿は、ちょっと難しく感じてしまった。

個人的に面白かったのは、以下の三篇。
矢島洋一「元朝期東アジアのスーフィズム」
中西竜也「アラビア語と漢語を結ぶ中国ムスリム像」
木村自「虐殺を逃れ、ミャンマーに生きる雲南ムスリムたち―「班弄人」の歴史と経験」

矢島論文は、カラコルムのペルシャ語碑文とハラホト出土のペルシャ語文書から、
元朝期のスーフィズムについて紹介。
中西論文は、清末民国期のムスリム学者(馬徳新・馬良駿)における漢語著述とアラビア語著述の視差を指摘し、両方の眼で見ることの必要性を説く。
木村論文は、清末の雲南におけるムスリム弾圧から、ミャンマーに逃れた人々を中心に形成された「班弄人」のアイデンティティ問題について論じている。

2010年1月24日日曜日

睡蓮池のほとりにて


ちょっと前になりますが、
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の
「睡蓮池のほとりにて―モネと須田悦弘、伊藤存」に
行ってきました。

睡蓮の絵で有名なモネと、
大山崎山荘美術館にある睡蓮の池をモチーフにした、
須田悦弘と伊藤存の作品を展示している。
モネはいわずとしれた印象派の巨匠。
伊藤存は動植物や人などをモチーフにした刺繍作品を作る作家。
でも、お目当てはこの二人ではなく、須田悦弘。


須田悦弘は、木彫りのリアルな実物大の草花を、
様々な空間にそっと配置する作品を作り続けている。

はじめて須田の作品を見たのは、
2005年の「秘すれば花:東アジアの現代美術」(森美術館)。
植物が壁からそっと出ていたのだけど、あまりにも何気なく存在していたため、
気付かず通り過ぎる人もけっこういた。

その後、しばらく現代アートとは遠ざかっていたのだけど、
一昨年くらいから、また見に行くようになり、次に出会ったのは昨年。
「ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション」(上野の森美術館)では、
他の作品(小澤剛の醤油画屏風)の陰に、
ひっそりと指先ほどの「雑草」が置いてあった。
原美術館の常設展示「此レハ飲水二非ズ」では、
汚い小部屋のむき出しになった排水管の先に椿が咲いていた。

リアルな木彫りの植物を見過ごしそうなほどさりげなく配置したり、
意外な場所と組み合わせたり。
それがなんとも言えず、かっこよく感じてしまうわけです。

で、今回の「睡蓮池のほとりにて」では、
白い壁・カーペットで仕切られた小部屋の中央に敷かれた
黒い円形のボード上に、 木彫りの睡蓮がそっと置いてありました。
睡蓮の葉には虫食いのあともあります。
天井には円形ボードと同じ大きさの天窓があり、
睡蓮の上に淡い光が差し込んでいます。
小部屋を出ると、周囲の壁にはモネの睡蓮がたくさん掛けられています。

やっぱり、かっこいい。

新館の廊下にも、虫食いの「葉」が展示してありました。
今回は意外な組み合わせや、さりげなさはなかったものの、
モネの睡蓮と呼応するかのような配置がよかったです。
また、どこかで須田の作品を見てみたいです。

ちなみにこの「睡蓮池のほとりにて」は、
本来1月31日までの予定だったのですが、
好評につき、2月28日まで延期されたそうです。