研究会「中央アジア・ソグディアナにおける仏教遺跡と美術」
日時:2009年12月21日(月) 午後3:30〜5:00
場所:京都・国際日本文化研究センター第5共同研究室
http://www.nichibun.ac.jp/info/access.html
発表者:Abdullaev Kazim(ウズベキスタン考古研究所研究指導員)
参加費:無料
2009年12月16日水曜日
2009年12月13日日曜日
医学と芸術
現在、森美術館で開催中の「医学と芸術:生命と愛の未来を探る~ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト」に行ってきました。今回の展覧会は、「医学と芸術」をテーマに、
イギリス最大の医療助成団体のウェルカム財団所蔵品を中心に、
第1部:身体の発見、第2部:病と死との戦い、第3部:永遠の生と愛に向かって
という三部構成で、医療用品・解剖図・日本画・現代アートなどなど、
約180点を展示している。
多分、目玉はダ・ヴィンチの解剖図なのですが、
そこにはあまり興味が湧きませんでした。
むしろ、実用的に作られた医療用品なのに
アートに見えてしまう展示品の数々に感動。
ポール・オムニスコープ社製レントゲン機や、特注の「鉄の肺」、
様々な義手・義足・義眼、鉄製関節模型などなど。
また、一つの展示品から、連想がひろがる面白さも味わいました。
たとえば、円山応挙の「波上白骨座禅図」(1780完成)を見た時には、
南宋・李嵩の「■[骨+古]髏幻戯図」を連想。

この絵は、傀儡の骸骨をあやつる芸人(これまた骸骨)とその妻と乳飲み子、さらに芸人に近づく幼児と、それを止めようとする母親を描いている。
正直、李嵩のほうが、円山応挙よりも、ずっとずっと怖い。
現代アートでは、
死を目前にした人とその死亡直後の顔写真を並べた
ヴァルター・シェルス「ライフ・ビフォア・デス」や、
人の頭蓋骨を紙やすりで2週間削って作った
アルヴィン・ザフラ「どこからでもない議論」、
エドワルド・カッツが遺伝子工学によって生み出した光るウサギ「GFPバニー」に、
死を目前にした人とその死亡直後の顔写真を並べた
ヴァルター・シェルス「ライフ・ビフォア・デス」や、
人の頭蓋骨を紙やすりで2週間削って作った
アルヴィン・ザフラ「どこからでもない議論」、
エドワルド・カッツが遺伝子工学によって生み出した光るウサギ「GFPバニー」に、
深く考えさせられました。
年老いたアメコミヒーローを並べたジル・バルビエの「老人ホーム」は、単純に見ているだけでも面白かった。
解説は老人医学の面にしか触れてないけど、
“正義”のアメリカ自体を皮肉っているようにも見える。
と、ここまでものすごく満足したように書いてきましたが、
実のところ、面白かったけど物足りない、というのが正直な感想。
意外な組み合わせというのが少ない上に、西洋偏重なのも気にかかる。
申し訳程度にチベット・ペルシャ・インド・中国の展示品もあったけど、
物足りなすぎる。
鍼灸や本草学、江戸時代の医学用品ですら展示されていないし。
東洋医学の世界は、もっともっと奥深く、面白いものがたくさんあるのだけどなぁ。
それに呪詛とか祈祷といったものも広義の精神医学として、
取り上げる価値はあったのではなかろうか。例えばコレラ除けのお札とか。
どうも、グロテスクでインパクトのある解剖図や肉体図に
重点を置きすぎているように感じてしまった。
ま、アートっぽいものっていうと、どうしても西洋偏重になるのは仕方ないのだけど。
でも、そこをもう一歩踏み出してほしかったなぁ。
個人的には5月29日から8月30日まで
21_21DESIGN SIGHTで開催されていた「骨」展の方が
意外な組み合わせがあって面白かった。
なお、「医学と芸術展」は、2010年2月28日(日)まで開催中です。
2009年12月10日木曜日
東アジアの仏教儀礼と表象文化
国立歴史民俗博物館共同研究2008〜2010「中世における儀礼テクストの綜合的研究」による国際研究集会「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
日時:12月23日(水・祝日)
会場:名古屋大学文系総合館 7F カンファレンス・ホール
午前の部:影像上映(10:00〜12:00)
民俗映像「薬師寺花会式―行法を支える人々」 解説 松尾恒一
午後の部
基調講演(13:00〜14:00):洪潤植「韓国の仏教儀礼と芸能」
シンポジウム(14:15〜18:00)「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
金慶起「韓国霊山齋の儀礼 芸能の特質とその歴史」
小島裕子「舎利会における舎利の奉迎について」
荒見泰史「敦煌文献に見られる唱導資料」
コメンテーター:松尾恒一・殷勤
司会・総括:阿部泰郎
日時:12月23日(水・祝日)
会場:名古屋大学文系総合館 7F カンファレンス・ホール
午前の部:影像上映(10:00〜12:00)
民俗映像「薬師寺花会式―行法を支える人々」 解説 松尾恒一
午後の部
基調講演(13:00〜14:00):洪潤植「韓国の仏教儀礼と芸能」
シンポジウム(14:15〜18:00)「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
金慶起「韓国霊山齋の儀礼 芸能の特質とその歴史」
小島裕子「舎利会における舎利の奉迎について」
荒見泰史「敦煌文献に見られる唱導資料」
コメンテーター:松尾恒一・殷勤
司会・総括:阿部泰郎
2009年12月8日火曜日
王朝滅亡の予言歌
串田久治『王朝滅亡の予言歌―古代中国の童謡』(大修館書店、2009年12月)
前漢・後漢代の童謡・予言歌の内容を解説。
政治と密接な関係にあったことを紹介している。
若干、気になったのは、正史に記された予言歌の流行時期を
そのまま採用しているように見えた点。
たとえば、桓帝の最期と次の霊帝の登場を予言した歌が、
桓帝即位当初に流行したという『続漢書』の記事をそのまま引用している。
予言はたいていの場合、後付けで作られるような気がするのだけど……。
中国では王朝交代や政治が乱れた際には、
必ずと言っていいほど、童謡が流行するので、
史料にもちょくちょく登場する。
清の杜文瀾撰『古謡諺』は、明代までの童謡を列挙していて、
参照するのに便利。
前漢・後漢代の童謡・予言歌の内容を解説。
政治と密接な関係にあったことを紹介している。
若干、気になったのは、正史に記された予言歌の流行時期を
そのまま採用しているように見えた点。
たとえば、桓帝の最期と次の霊帝の登場を予言した歌が、
桓帝即位当初に流行したという『続漢書』の記事をそのまま引用している。
予言はたいていの場合、後付けで作られるような気がするのだけど……。
中国では王朝交代や政治が乱れた際には、
必ずと言っていいほど、童謡が流行するので、
史料にもちょくちょく登場する。
清の杜文瀾撰『古謡諺』は、明代までの童謡を列挙していて、
参照するのに便利。
2009年12月6日日曜日
『老子』―〈道〉への回帰
神塚淑子『『老子』―〈道〉への回帰』(岩波書店、2009年11月)
岩波書店の書物誕生あたらしい古典入門シリーズの一冊。
第Ⅰ部では、『老子』の成立過程(馬王堆帛書・楚簡との比較)や、
各時代の注釈書、仏教や道教との関係をまとめている。
第Ⅱ部では『老子』の思想を以下の五つのテーマに分けて読み解いている。
「道」について、「道」への復帰、文明への警告、「聖人」の治、処世訓。
『老子』の概説書として、とてもわかりやすかった。
ただ、書物誕生シリーズの『孫子』・『論語』・『『史記』と『漢書』』を読んだときほどは、目から鱗が落ちなかった。
岩波書店の書物誕生あたらしい古典入門シリーズの一冊。
第Ⅰ部では、『老子』の成立過程(馬王堆帛書・楚簡との比較)や、
各時代の注釈書、仏教や道教との関係をまとめている。
第Ⅱ部では『老子』の思想を以下の五つのテーマに分けて読み解いている。
「道」について、「道」への復帰、文明への警告、「聖人」の治、処世訓。
『老子』の概説書として、とてもわかりやすかった。
ただ、書物誕生シリーズの『孫子』・『論語』・『『史記』と『漢書』』を読んだときほどは、目から鱗が落ちなかった。
中国儒教社会に挑んだ女性たち
李貞徳著、大原良通訳『中国儒教社会に挑んだ女性たち』(大修館書店、2009年12月)
北魏の蘭陵長公主の流産と死を起点に、
南北朝隋唐期の女性と法の関係に迫る。
政治史の側面は希薄だけど、霊太后に注目していて、
なかなか面白い。
原題翻訳は「公主の死―あなたの知らない中国法律史」。
個人的には原題のほうがいいような気がするのだけど。
北魏の蘭陵長公主の流産と死を起点に、
南北朝隋唐期の女性と法の関係に迫る。
政治史の側面は希薄だけど、霊太后に注目していて、
なかなか面白い。
原題翻訳は「公主の死―あなたの知らない中国法律史」。
個人的には原題のほうがいいような気がするのだけど。
2009年12月3日木曜日
『宋代中国』の相対化
やっと宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』(汲古書院、2009年7月)を読了した。
収録論文は12本。どれも面白く、刺激的だった。
著者は全員30~40代。山根直生氏による編集後記の中に、
「前編集委員から託された方針はただ一点、執筆陣・編集委員の双方に
……従来よりも若い世代をあてること、のみであった」とある。
宋代史研究会では、若手の勢いが盛んで、
世代交代がスムーズに行われるように思えてくる。
編集後記の付記にある故津田芳郎先生の若手へのエールがまたいい。
収録論文は12本。どれも面白く、刺激的だった。
著者は全員30~40代。山根直生氏による編集後記の中に、
「前編集委員から託された方針はただ一点、執筆陣・編集委員の双方に
……従来よりも若い世代をあてること、のみであった」とある。
そういえば、遼金西夏史研究会も若手中心の研究会だ。
内実はよくわからないけれど、この論文集を読む限り、宋代史研究会では、若手の勢いが盛んで、
世代交代がスムーズに行われるように思えてくる。
編集後記の付記にある故津田芳郎先生の若手へのエールがまたいい。
十一世紀後半における北宋の国際的地位について
毛利英介「十一世紀後半における北宋の国際的地位について―宋麗通交再開と契丹の存在を手がかりに―」(宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』汲古書院、2009年7月)
北宋神宗期の宋と高麗の通交再開について再検討し、
主要因は経済面ではなく、政治面にあったとする。
すなわち、宋朝には高麗との関係を一定程度回復することで、
「中国」としての装いを整えようとしたとする。
また、遼は高麗経由で宋の文物・情報が流入することを
期待して宋と高麗の通交を黙認したのではないかとする。
個人的には、上記に続く第二章第二節の方向表現からみる国際関係が
最も興味深く、とても面白かった。
遼と北宋が相互に「北朝」・「南朝」と称呼したのみならず、
高麗や西夏にも同様の認識が存在したことを指摘。
さらに遼において、東韓(高麗)・西夏・南朝(宋)・北朝(遼)という
方向表現があったことを示す。
もちろん、北宋・遼ともに自国を「中華」とする認識が存在したことは間違いないが、
一方で北宋・遼ともに「南朝」・「北朝」という意識も持っていたことがとても面白い。
南北朝時代には、あまりそうした認識はうかがえないのではないだろうか。
北宋神宗期の宋と高麗の通交再開について再検討し、
主要因は経済面ではなく、政治面にあったとする。
すなわち、宋朝には高麗との関係を一定程度回復することで、
「中国」としての装いを整えようとしたとする。
また、遼は高麗経由で宋の文物・情報が流入することを
期待して宋と高麗の通交を黙認したのではないかとする。
個人的には、上記に続く第二章第二節の方向表現からみる国際関係が
最も興味深く、とても面白かった。
遼と北宋が相互に「北朝」・「南朝」と称呼したのみならず、
高麗や西夏にも同様の認識が存在したことを指摘。
さらに遼において、東韓(高麗)・西夏・南朝(宋)・北朝(遼)という
方向表現があったことを示す。
もちろん、北宋・遼ともに自国を「中華」とする認識が存在したことは間違いないが、
一方で北宋・遼ともに「南朝」・「北朝」という意識も持っていたことがとても面白い。
南北朝時代には、あまりそうした認識はうかがえないのではないだろうか。
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