国立歴史民俗博物館共同研究2008〜2010「中世における儀礼テクストの綜合的研究」による国際研究集会「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
日時:12月23日(水・祝日)
会場:名古屋大学文系総合館 7F カンファレンス・ホール
午前の部:影像上映(10:00〜12:00)
民俗映像「薬師寺花会式―行法を支える人々」 解説 松尾恒一
午後の部
基調講演(13:00〜14:00):洪潤植「韓国の仏教儀礼と芸能」
シンポジウム(14:15〜18:00)「東アジアの仏教儀礼と表象文化」
金慶起「韓国霊山齋の儀礼 芸能の特質とその歴史」
小島裕子「舎利会における舎利の奉迎について」
荒見泰史「敦煌文献に見られる唱導資料」
コメンテーター:松尾恒一・殷勤
司会・総括:阿部泰郎
2009年12月10日木曜日
2009年12月8日火曜日
王朝滅亡の予言歌
串田久治『王朝滅亡の予言歌―古代中国の童謡』(大修館書店、2009年12月)
前漢・後漢代の童謡・予言歌の内容を解説。
政治と密接な関係にあったことを紹介している。
若干、気になったのは、正史に記された予言歌の流行時期を
そのまま採用しているように見えた点。
たとえば、桓帝の最期と次の霊帝の登場を予言した歌が、
桓帝即位当初に流行したという『続漢書』の記事をそのまま引用している。
予言はたいていの場合、後付けで作られるような気がするのだけど……。
中国では王朝交代や政治が乱れた際には、
必ずと言っていいほど、童謡が流行するので、
史料にもちょくちょく登場する。
清の杜文瀾撰『古謡諺』は、明代までの童謡を列挙していて、
参照するのに便利。
前漢・後漢代の童謡・予言歌の内容を解説。
政治と密接な関係にあったことを紹介している。
若干、気になったのは、正史に記された予言歌の流行時期を
そのまま採用しているように見えた点。
たとえば、桓帝の最期と次の霊帝の登場を予言した歌が、
桓帝即位当初に流行したという『続漢書』の記事をそのまま引用している。
予言はたいていの場合、後付けで作られるような気がするのだけど……。
中国では王朝交代や政治が乱れた際には、
必ずと言っていいほど、童謡が流行するので、
史料にもちょくちょく登場する。
清の杜文瀾撰『古謡諺』は、明代までの童謡を列挙していて、
参照するのに便利。
2009年12月6日日曜日
『老子』―〈道〉への回帰
神塚淑子『『老子』―〈道〉への回帰』(岩波書店、2009年11月)
岩波書店の書物誕生あたらしい古典入門シリーズの一冊。
第Ⅰ部では、『老子』の成立過程(馬王堆帛書・楚簡との比較)や、
各時代の注釈書、仏教や道教との関係をまとめている。
第Ⅱ部では『老子』の思想を以下の五つのテーマに分けて読み解いている。
「道」について、「道」への復帰、文明への警告、「聖人」の治、処世訓。
『老子』の概説書として、とてもわかりやすかった。
ただ、書物誕生シリーズの『孫子』・『論語』・『『史記』と『漢書』』を読んだときほどは、目から鱗が落ちなかった。
岩波書店の書物誕生あたらしい古典入門シリーズの一冊。
第Ⅰ部では、『老子』の成立過程(馬王堆帛書・楚簡との比較)や、
各時代の注釈書、仏教や道教との関係をまとめている。
第Ⅱ部では『老子』の思想を以下の五つのテーマに分けて読み解いている。
「道」について、「道」への復帰、文明への警告、「聖人」の治、処世訓。
『老子』の概説書として、とてもわかりやすかった。
ただ、書物誕生シリーズの『孫子』・『論語』・『『史記』と『漢書』』を読んだときほどは、目から鱗が落ちなかった。
中国儒教社会に挑んだ女性たち
李貞徳著、大原良通訳『中国儒教社会に挑んだ女性たち』(大修館書店、2009年12月)
北魏の蘭陵長公主の流産と死を起点に、
南北朝隋唐期の女性と法の関係に迫る。
政治史の側面は希薄だけど、霊太后に注目していて、
なかなか面白い。
原題翻訳は「公主の死―あなたの知らない中国法律史」。
個人的には原題のほうがいいような気がするのだけど。
北魏の蘭陵長公主の流産と死を起点に、
南北朝隋唐期の女性と法の関係に迫る。
政治史の側面は希薄だけど、霊太后に注目していて、
なかなか面白い。
原題翻訳は「公主の死―あなたの知らない中国法律史」。
個人的には原題のほうがいいような気がするのだけど。
2009年12月3日木曜日
『宋代中国』の相対化
やっと宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』(汲古書院、2009年7月)を読了した。
収録論文は12本。どれも面白く、刺激的だった。
著者は全員30~40代。山根直生氏による編集後記の中に、
「前編集委員から託された方針はただ一点、執筆陣・編集委員の双方に
……従来よりも若い世代をあてること、のみであった」とある。
宋代史研究会では、若手の勢いが盛んで、
世代交代がスムーズに行われるように思えてくる。
編集後記の付記にある故津田芳郎先生の若手へのエールがまたいい。
収録論文は12本。どれも面白く、刺激的だった。
著者は全員30~40代。山根直生氏による編集後記の中に、
「前編集委員から託された方針はただ一点、執筆陣・編集委員の双方に
……従来よりも若い世代をあてること、のみであった」とある。
そういえば、遼金西夏史研究会も若手中心の研究会だ。
内実はよくわからないけれど、この論文集を読む限り、宋代史研究会では、若手の勢いが盛んで、
世代交代がスムーズに行われるように思えてくる。
編集後記の付記にある故津田芳郎先生の若手へのエールがまたいい。
十一世紀後半における北宋の国際的地位について
毛利英介「十一世紀後半における北宋の国際的地位について―宋麗通交再開と契丹の存在を手がかりに―」(宋代史研究会編『『宋代中国』の相対化』汲古書院、2009年7月)
北宋神宗期の宋と高麗の通交再開について再検討し、
主要因は経済面ではなく、政治面にあったとする。
すなわち、宋朝には高麗との関係を一定程度回復することで、
「中国」としての装いを整えようとしたとする。
また、遼は高麗経由で宋の文物・情報が流入することを
期待して宋と高麗の通交を黙認したのではないかとする。
個人的には、上記に続く第二章第二節の方向表現からみる国際関係が
最も興味深く、とても面白かった。
遼と北宋が相互に「北朝」・「南朝」と称呼したのみならず、
高麗や西夏にも同様の認識が存在したことを指摘。
さらに遼において、東韓(高麗)・西夏・南朝(宋)・北朝(遼)という
方向表現があったことを示す。
もちろん、北宋・遼ともに自国を「中華」とする認識が存在したことは間違いないが、
一方で北宋・遼ともに「南朝」・「北朝」という意識も持っていたことがとても面白い。
南北朝時代には、あまりそうした認識はうかがえないのではないだろうか。
北宋神宗期の宋と高麗の通交再開について再検討し、
主要因は経済面ではなく、政治面にあったとする。
すなわち、宋朝には高麗との関係を一定程度回復することで、
「中国」としての装いを整えようとしたとする。
また、遼は高麗経由で宋の文物・情報が流入することを
期待して宋と高麗の通交を黙認したのではないかとする。
個人的には、上記に続く第二章第二節の方向表現からみる国際関係が
最も興味深く、とても面白かった。
遼と北宋が相互に「北朝」・「南朝」と称呼したのみならず、
高麗や西夏にも同様の認識が存在したことを指摘。
さらに遼において、東韓(高麗)・西夏・南朝(宋)・北朝(遼)という
方向表現があったことを示す。
もちろん、北宋・遼ともに自国を「中華」とする認識が存在したことは間違いないが、
一方で北宋・遼ともに「南朝」・「北朝」という意識も持っていたことがとても面白い。
南北朝時代には、あまりそうした認識はうかがえないのではないだろうか。
2009年11月29日日曜日
内陸アジア出土古文献研究会
東洋文庫・内陸アジア出土古文献研究会12月例会
日時:12月12日(土) 午後2:00-5:30
場所:明治大学駿河台校舎研究棟4階 第一会議室
報告
岡野誠「杏雨書屋所蔵唐開元雑律疏断簡の再検討」
山口正晃「敦煌学百年―現状と課題―」
日時:12月12日(土) 午後2:00-5:30
場所:明治大学駿河台校舎研究棟4階 第一会議室
報告
岡野誠「杏雨書屋所蔵唐開元雑律疏断簡の再検討」
山口正晃「敦煌学百年―現状と課題―」
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