2012年6月18日月曜日

艾未未読本

牧陽一編『艾未未読本』(集広舎、2012年5月)

2011年4月3日に北京国際空港で拘束され、
6月22日の保釈後も自宅軟禁状態が続いている
アーティスト艾未未(アイ・ウェイウェイ)のこれまでの軌跡と
彼自身の言葉(インタビュー・文章)をまとめたもの。

目次は以下の通り。
牧陽一「艾未未二〇一一」
宮本真左美「艾未未概説」
牧陽一訳+解説、麻生晴一郎解説「艾未未のことば1《公民調査》」
牧陽一訳+解説、栗山明+堀川理沙解説「艾未未のことば2《芸術》」
宮本真左美訳「艾未未のことば3《建築》」
牧陽一訳+解説、石田留美子+ふるまいよしこ解説「艾未未のことば4《評論》」

艾未未のみならず、友人の栄栄と映里(写真家)や
左小祖咒(ロック歌手)も取り上げている。
艾未未の多様な活動と現在までの状況が
一目瞭然となる最適の読本。
現代中国に関心のある人は必読。

また、中国云々は置いといて、
現代アートに興味ある方も読んで損はない。
Chim↑Pom企画の「ひっくりかえる」展との、
見えないつながりを看取できるはず。

2012年6月15日金曜日

第16回六朝学術学会大会

第16回六朝学術学会大会
日時:2012年6月16日(土)13時10分~17時45分
会場:二松学舎大学・九段キャンパス・三号館
大会参加費:1,000円

研究発表 13:20〜15:00(各発表20分、質疑10分)
亀井有安「魏文帝の詩歌にみえる感情表現の特質―「腸」を中心に―」 
横山きのみ「皇甫謐の著作がえがき出す出処―『高士伝』『帝王世紀』の意義―」
池田恭哉「新王朝への態度―北斉滅亡時の士人たち―」 

特別講演 15:15〜15:55
戴燕「中国六朝文学研究的向及我的一点看法」  
記念講演 16:00〜17:00
妹尾達彦「江南文化の系譜―建康と洛陽」

2012年6月8日金曜日

東洋文庫と本の世界

2012年度春期東洋学講座
東洋文庫ミュージアムオープン記念講演会
「東洋文庫と本の世界」
会場:東洋文庫2階講演室
聴講無料・申し込み不要

6月11日(月)16時~18時
塚原東吾「オランダ語・日蘭関係史料による19世紀の古気候再現―東洋文庫に収蔵されるシーボルト史料を発端として」

6月20日(水)16時~18時
岩尾一史「チベットの文字の文化史」

6月29日(金)16時~18時
池田美佐子「エジプトにおける民主主義の系譜と議会文書」

2012年6月6日水曜日

陳寿の処世と『三国志』

田中靖彦「陳寿の処世と『三国志』」(『駒沢史学』76、2011年3月)

遅ればせながら最近読んだので紹介。
「正統」論に対する疑問をもとに、
陳寿撰『三国志』の三国観を検討している。

従来、正史『三国志』は、「曹魏正統論」を説きつつ、
ひそかに蜀漢を称揚しようとする含意が込められている
歴史書と理解されてきた。
確かにそうした傾向は存在しているが、その一方で、
『三国志』は、魏の「漢→魏」、蜀漢の「漢=蜀漢」、
呉の「漢→魏→呉」という主張をすべて記録しており、
三国いずれに対しても一定の合法性を認めている。
また、魏から晋への禅譲のみならず、
蜀漢・呉の投降に関する文書を採録することで、
「蜀→晋」、「呉→晋」という継承関係も示している。
すなわち、『三国志』は、三国すべてが晋に帰着したことを示した歴史書である。

『三国志』のみならず、分裂時代を扱った史書の性質を考える際には、正統性の問題を意識せざるをえないが、本論文によって、正統性にとらわれすぎるのも危険であることを実感した。

2012年6月5日火曜日

発見!お茶の水女子大学の広開土王碑拓本

第14回国際日本学シンポジウムセッションⅠ
発見!お茶の水女子大学の広開土王碑拓本
日時:2012年7月7日(土)13時~17時30分
場所:お茶の水女子大学本館3階306室
資料代500円

研究発表
武田幸男「広開土王碑の真意を求めて」
徐建新「広開土王碑拓本研究とお茶の水女子大学本の年代」
早乙女雅博「製作技法からみたお茶の水女子大学拓本の年代」
奥田環「東京女子高等師範学校の学術標本―教材としての広開土王碑拓本の背景―」

特別展示(11時~15時):本館1階103室にて広開土王碑拓本を展示

2012年5月27日日曜日

魏志倭人伝の謎を解く

渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く―三国志から見る邪馬台国』(中公新書、2012年5月)

昨年、たてつづけに『三国志―演義から正史、そして史実へ』、『関羽―神になった「三国志」の英雄』、『曹操墓の真相』(監訳)を出した著者が、ついに邪馬台国にチャレンジ。

渡邉氏の「『三国志』東夷伝倭人の条に現れた世界観と国際関係」(『三国志研究』6、2011年)を下敷きに、『三国志』の世界観や編纂背景を踏まえて、倭人条に含まれた「理念」と「事実」をよりわけて、邪馬台国に迫ろうとしている。

最近、石野博信ら編『研究最前線邪馬台国―いま、何が、どこまで言えるのか』(朝日選書、2011年6月)、東潮『邪馬台国の考古学―魏志東夷伝が語る世界』(角川選書、2012年3月)、大塚初重『邪馬台国をとらえなおす』(講談社現代新書、2012年4月)などなど、やたら邪馬台国関連書が出版されている。纏向遺跡の発掘が影響しているのだろうなぁ。

「知」の欺瞞

アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン著、田崎春秋・大野克嗣・堀茂樹訳『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波現代文庫、2012年2月)

アメリカのカルチュラル・スタディーズ誌『ソーシャル・テクスト』にソーカルが投稿したパロディ論文「境界を侵犯すること―量子重力の変形解釈学に向けて」が掲載されてしまったことをきっかけに、いきすぎたポストモダン思想を批判する目的でフランスで出版された書籍。

ラカン、クリステヴァ、ボートリヤール、ドュルーズとガタリ、ヴィリリオなどの超著名な知識人の著述に見られる科学用語が、明白な濫用であることを指摘している。ここでいう濫用とは、①何の議論もなしに通常の文脈を完全に離れて使用すること、②論点と関係なく、めくらまし的に科学用語を並べたてること、である。「王様は裸だ!」と正面から述べた本という感じ。

増補 民族という虚構

小坂井敏晶『増補 民族という虚構』(ちくま学芸文庫、2011年5月)

先日紹介した『アジア遊学150 アジアの〈教養〉を考える』で
紹介されていたので購入。

〈民族〉の虚構性を改めて確認したのち、その虚構性を単純に否定するのではなく、社会がさまざまな虚構が存在することによって、はじめて機能することを指摘し、開かれた共同体概念をどのように構築すればいいかを考察している。

第三章虚構と現実に「虚構の成立と同時にその仕組みが隠蔽されることが、社会生活が機能するための不可欠な条件をなす。虚構であるにもかかわらず現実の力を発揮できると主張するのではない。虚構と現実との関係をこのように消極的に捉えるのではなく、反対に両者の間に根元的で分離不可能な関係をみなければならない」とあるが、いま考えている研究テーマと密接に関わってくる。

というか、なんでもっと早く読まなかったのだろうか。アンテナの感度が落ちているような気がして、ちょっとへこんでしまった。

2012年5月22日火曜日

風俗と時代観

岸本美緒『風俗と時代観―明清史論集1』(研文出版、2012年5月)

岸本氏の「肩の凝らない文章」を集めた論集。あとがきで「昼寝の友として気楽に読んでいただきたい」とあるが、むしろ、がっつり目を見開いて読んでしまった。講座モノや特集号の依頼で書いたものが多く、読みやすい文章で、かつ大変多くの示教を受けた。全編に補注がついていて、ところどころで「居直り」・「泥臭くても実感に即した議論」と述べているが、膨大な理論・実証の蓄積あっての言葉だから重みがある。

目次は以下の通り。
Ⅰ歴史変動と時代区分
時代区分論
時代区分論の現在
風俗と時代観
現代歴史学と「伝統社会」形成論
一八世紀の中国と世界

Ⅱ身分と風俗
明清時代の身分感覚
名刺の効用―明清時代における士大夫の交際
「老爺」と「相公」―呼称からみた地方社会の階層感覚

Ⅲ歴史の風
歴史の中の「風」
China-centered approach?
アジアからの諸視覚―「交錯」と「対話」

アジアの〈教養〉を考える

諸事情で、更新が滞ってしまいましたが、その間にいろいろ出ましたね。
思い出したものから、徐々に更新していきます。
まず一昨日読み終えたばかりのものから。

『アジア遊学150 アジアの〈教養〉を考える―学問のためのブックガイド』(勉誠出版、2012年5月)

アジア遊学150号記念ということで、
アジアの教養を考えるブックガイド。
「アジア」とあるけれど、基本的には東アジア。
東南アジアは多少あるけれど、
西アジアや南アジアはほとんどない。

執筆者は32人。一人三冊紹介して、合計93冊。
複数の評者がとりあげていたのが、
以前、このブログでも紹介した
金文京『漢文と東アジア―訓読の文化圏』(岩波新書、2010年)。
確かに読みやすくって奥が深い。
中国史ものでも、こういう新書がもっと出てほしいなぁ。

そのほか、読んでみたいと思う本が何冊もあった。
さっそく買いに走った本もある。
とりあえず、二人が推薦していた
川本邦衛『ベトナムの詩と歴史』(文藝春秋社、1967年)は
古本屋で探したい。