佐川論文のあとに読んだのが、
外村中「魏晋洛陽都城制度攷」(『人文学報』99、2010年12月)。
魏晋期の洛陽城について、主に文献史料を使って、
従来の「後漢南宮―曹魏太極殿」説を否定し、
近年、有力になってきた「後漢北宮―曹魏太極殿説」を主張。
また、太極殿だけではなく、曹魏時代の宮殿配置について、
詳細に史料を示し、復元図を作成している。
それを踏まえた上で、魏晋洛陽の主要部は、
後漢の洛陽とも隋唐の長安とも異なっており、
魏晋南北朝期の帝都の規範となっていたとする。
ただ、後記に原型は2003年以前にできており、
2003年に出た銭国祥氏の新説(「後漢北宮―曹魏太極殿説」)を
踏まえて2007年に書き改めたとあり、
刊行までに若干のタイムラグがあるようだ。
都城史の理解をめぐって、佐川氏とかなり違いがあります。
今後、議論が深まってほしいです。
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追記:2011年2月18日(金)
上記の論文は、京都大学学術リポジトリで
読むことができます。
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