2010年4月10日土曜日

いくさの歴史と文字文化

遠山一郎・丸山裕美子編『いくさの歴史と文字文化』(三弥井書店、2010年3月)

愛知県立大学日本文化学部国語国文学科と歴史文化学科の教員が中心となっている科学研究費補助金「戦に関わる文字文化と文物の総合的研究」による企画。
2008年に行われた二回の研究集会がもとになっている。

収録論文は以下の通り
笹山晴生「基調講演 七世紀東アジアの戦と日本の成立」
孟彦弘「唐前期における戦争と兵制」
李相勲「白村江戦場の位置と地形について」
倉本一宏「白村江の戦をめぐって」
丸山裕美子「七世紀の戦と律令国家の形成」
犬飼隆「白村江敗戦前後の日本の文字文化」
鈴木喬「七世紀における文字文化の受容と展開」
方国花「古代朝鮮半島と日本の異体字研究―「部」の字を中心に」
遠山一郎「いくさが投げかけた影―額田王と天智天皇との万葉歌」
身崎壽「防人のたび」

個人的に興味深かったのは、李相勲論文。
現在でも議論がある白村江の所在地について、
古環境学の成果を用い、朝鮮半島西部の7世紀の海水面が現在より高く、
海岸線・河口の地形が異なっていたことを指摘し、新見解を提示している。

1 件のコメント:

  1. 称猫庵様
    連休でネットサーフィンをしていて、貴ブログにたどり着きました。
    小生は藤井游惟と申し、2年半ほど前に「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い」という論考を上梓した者です。

    http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862231470/ref=sib_rdr_dp

    拙論は、中国に隋・唐という統一王朝が成立したことから、朝鮮半島と倭(日本)を含む東アジアのパワーバランスが崩れ、その流れの中で倭は白村江に駆り出されて大敗を喫し、以後東アジア国際社会からの孤立化の道を歩むことになるが、一方に於いて、白村江敗戦は百済教養人の大量亡命という副産物をもたらし、この百済教養人達が律令制国家「日本」の形成と、日本国内の文字文明の発展に大きく寄与した、ということを歴史と言語の両面から論じるものであり、この「いくさの歴史と文字文化」と全く同じ観点に立っており、この本のP150、犬飼隆氏の論文の末尾に拙著に対する言及があります。(私はこの本を犬飼氏から贈呈されました)
    ただ、基本的視点は同じでも拙著の方が歴史面・言語面共によりつっこんだ分析を展開していると自負しており、特に中国語に関しては、第八章で朝鮮語と中国18ヶ所の方言漢字音で読んだ万葉集の発音の音声映像資料を付録CDに収録しており、お忙しければ、このCDを見て頂くだけで拙論に納得いただけると思います。また、この中国語の問題に関しましては、この3月に日本中国語学会関東支部拡大例会において、このCDの映像資料をそのまま用い「日本漢字『呉音』の原型は山東方言音」という題目で発表を行っています。
    中国史にお詳しく、斯界ではさぞ名のある方と存じますが、ご興味がお有りであれば、是非ご一読・ご高評頂ければ幸いです。
    宜しくお願い申し上げます。
    (なお、市販分は殆ど在庫がなく、再版検討中ですが、私の手元に少し残っていますので売り切れの場合はご連絡ください)
    yuppies_kasukabe@yahoo.co.jp

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